松尾貴史(まつお・たかし)/ 1960年生まれ。神戸市出身。大学在学時から、ギャグ・パフォーマー、DJやナレーターとして活動を開始。関西で84年、キッチュの芸名でテレビデビュー。86年、笑殺軍団リリパットアーミーの旗揚げに参加。98年に演劇ユニットAGAPE storeを結成。二兎社公演「鴎外の怪談」で紀伊國屋演劇賞個人賞、読売演劇大賞優秀男優賞受賞。近著に『違和感ワンダーランド』(毎日新聞出版)がある。
松尾貴史(まつお・たかし)/ 1960年生まれ。神戸市出身。大学在学時から、ギャグ・パフォーマー、DJやナレーターとして活動を開始。関西で84年、キッチュの芸名でテレビデビュー。86年、笑殺軍団リリパットアーミーの旗揚げに参加。98年に演劇ユニットAGAPE storeを結成。二兎社公演「鴎外の怪談」で紀伊國屋演劇賞個人賞、読売演劇大賞優秀男優賞受賞。近著に『違和感ワンダーランド』(毎日新聞出版)がある。

 書く、演じる、しゃべる。複数の分野を並行するマルチタレントの走りである松尾貴史さん。週刊朝日「似顔絵塾」の塾長としても活躍するが、20年以上、欠かさず舞台に立つ。そこには、東西の師匠の導きがあった。

【写真】松尾貴史さんをもっと見る

 大阪で活動していた20代半ばの頃、中島らもさんから、「一緒に、劇団を旗揚げしないか」と誘われた。照れ隠しのように、「どんちゃん騒ぎが目的やから」と言われ、シンプルに楽しそうだなぁと思った。劇団の名前は「笑殺軍団リリパットアーミー」。

「俳優専業でやっている人は数人しかいなくて、あとは、漫画家にコピーライター、噺家(はなしか)、ただのヤンキーとか元パンク青年とか、劇団としては不思議な経歴の人ばかり。滑舌は悪い、発声も悪い、運動神経はないっていう人たちが揃(そろ)って舞台を作っていて、毎日、死ぬほど笑っていました。元々、演劇よりも演芸がやりたかった僕にとっては、早々に、自分の居場所が見つかった感じがありました」

 1990年代に入ると、どんどんテレビの仕事が忙しくなっていき、劇団の芝居には出られない日々が続いていた。そんなある日、松尾さんが“東の師匠”と慕う原田芳雄さんから、ある約束をさせられた。

「松田優作さんの何回目かの命日に、芳雄さんの家で、2人で飲んでいたんです。いろいろなことを思い出しながら話しているときに、突然、芳雄さんが、『俺も毎年1回以上は、必ずお金を払ってくれるお客さんを集めて、その前で何かをやっている。もう、舞台で芝居をする意欲はあまりないけど、代わりに、毎年ブルースを歌っている。お前も、何でもいいから、金を払ってわざわざ集まってくれているお客さんの前で何かをやったほうがいい。芝居がうれしいけど、落語でも何でもいいからやりなさい。約束するか』って言われて、約束せざるを得ないような感じになって」

 すぐに、知己の劇作家で演出家のG2さんに相談し、一緒に「AGAPE store」というユニットを組んだ。以来、毎年1~2回は舞台公演をするようになった。

次のページ