北極星の看板といえばオムライス
北極星の看板といえばオムライス

 カレーは阪急百貨店大食堂の名物料理。では「パンヤの食堂」の名物料理はというと、同店で1925年に誕生したオムライスだった。

 そのころ、雨具屋の小高さんという常連客がいた。小高さんは来店のたびにオムレツを注文し、ライスと一緒に食べていた。胃が弱い人で、卵料理しか食べたくないという。来る日も来る日もオムレツとライスだけではかわいそうだ。そう思った北橋氏は、ある日、変わった料理を供してみた。

「トマトケチャップライスを薄く焼いた卵で巻いて出したんです。小高さんが『これなんや?』とおっしゃったんで、『オムレツとライスで、オムライスという洋食にしときましょうかなあ』と答えたそうです」

 オムライスは、胃の弱い常連客へのいたわりから生まれた料理だった。

 なおオムライスは、これに先立つ1901年に東京・銀座の煉瓦亭で誕生したという説もあり、その点について簡単に説明する。

 当時、煉瓦亭の厨房は忙しく、料理人は調理をしながら食べる必要があったという。そこでまかない食として工夫されたのが、白いご飯、炒めて味をつけたタマネギと挽き肉などを、溶き卵の中に入れて焼いたものだった。

 それを食べつつ鍋を振る料理人の様子を見た客が、自分も食べたいと所望。そこで「ライスオムレツ」の名でメニューに載せたという。

■人気が高かった睾丸バター焼き

 煉瓦亭の料理は、いわばライス入りのオムレツ。オムライスの定義が「ケチャップライスを卵でくるんだ料理」ということであれば、パンヤの食堂が発祥となる。

 小高さんに出した特別料理が一般客向けとしてメニューに載った時期は定かではないが、34年に撮られた写真には、「オムライス20銭」と書かれた紙が店内に貼られているそうだ。

 初代の北橋氏はアイデアマンであり、料理研究に熱心でもあった。フランス文化に造詣の深い人物を料理顧問に迎え、本場のメニューやレシピの翻訳・解説を頼んだ。

 36年。同社は大きな変化を遂げた。大阪・難波に4階建てのビルを建設したのだ。社名も「北極星」に変えた。

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