横尾忠則
横尾忠則

 芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、子供でいることについて。

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 鮎川さんの質問は子供が大人にするような質問で答えにくいことがあります。大人になり切れない子供の部分が鮎川さんの疑問なんでしょうね。こういう感情は芸術にとっては必要不可欠の要素なんですが、大人の社会を相手にする場合は自分の中に棲んでいる子供を殺す必要があります。

 ですから僕はなるべく大人の社会と断絶するためにカムフラージュとしてキャンバスを社会と見立てて絵という言葉で社会に関っているのです。無言のまま壁に立てかけているキャンバスは、まあ言えば社会の窓みたいなもので、この窓を通して無垢な僕の中の子供と向き合います。

 大人になりたくない症候群ってとこですかね。僕にとって最も幸せだった時代は子供の頃です。もし一生幸せでいたいなら子供のままで大人にならないことですが、僕を社会に位置づけるためには僕は僕の中の子供を消してしまうしかないのです。

 だけど、先週も登場しました僕の養父母は僕にいつまでも子供でいることを要求しました。僕が成長して、生まれた町を離れて遠くへ行くことを極力恐れました。だから先週も話しましたが、東京の美大を受験しないで故郷に戻ってきた時は両親は本当に心の底から喜んだのです。そんな過保護な親の下で僕も安住していたのです。僕はかつて『コブナ少年』という自伝を書いたことがありますが、田舎町に住んで永遠にコブナと戯れる生活を夢見ていたのです。だから郷里で郵便屋さんになりたかったのです。郵便屋さんになることは幸福の原点だったのですが、僕の中の運命はいつまでも生まれ故郷に留めさせることはしてくれませんでした。

 じゃ、子供とは何ですか? 子供は心の中で作られる物語です。フィクションです。大人になるということは、心の中のフィクションがなくなることです。そして自分の中を現実一色にしてしまうことです。永遠の子供でいたいなら自分の中に物語を持つことです。大人になるとその物語はどんどん失われてしまいます。

 僕は大人になりたくない症候群だったので大人の読む本はいっさい読んでこなかったのです。いつまでも子供でいたいために、ターザン映画を観て、バローズの「ターザン」を読み、わが日本の密林冒険小説家の南洋一郎を愛読しました。また一方で江戸川乱歩の「怪人二十面相」は血湧き肉躍るアンチヒーローでした。バローズや南洋一郎の密林の奥の洞窟は終戦後の東京の焼跡の地下の二十面相のアジトと繋がっていました。とにかく子供は冒険が大好きです。芸術も冒険的行為です。

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横尾忠則

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。

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