宗谷岬の高台から望むサハリンの山脈
宗谷岬の高台から望むサハリンの山脈

「状況が改善されれば草の根の交流は必要と考えているが、実施するべきなのか困惑している」

 こう話すのは北海道旭川市の担当者。旭川市は、1967年からサハリン(樺太)のユジノサハリンスク市と友好都市として提携。ここ2年はコロナ禍で実施できていなかったが、青少年相互派遣などの交流をしてきた。

 担当者は「いまロシアと交流するのはいかがなものかという意見もあるだろうし、市民感情にも配慮しないといけない」と話す。

 同稚内市は、72年にサハリンのネベリスク市、91年にコルサコフ市、2001年にユジノサハリンスク市とそれぞれ友好都市として提携。いずれもサハリン南部に位置し、親善訪問や文化交流にとどまらず、交易や旅客の往来など実務的な交流も進めてきた。

 稚内市にある、日本北端の宗谷岬とサハリン南端までの距離はわずか43キロ。樺太は、江戸時代に間宮林蔵が島と確認し、日本は1875年の樺太千島交換条約で手放したが、日露戦争後に南樺太を譲り受けた。第2次世界大戦末期に旧ソ連が日ソ中立条約を破棄し、北方四島などと樺太を占領した。

「目の前がサハリンで、樺太時代から船で人の往来があった」(稚内市の担当者)

 稚内港とサハリン南部のコルサコフ港を結ぶ定期航路は、採算悪化で19年に休止。貨物船チャーター便が年数便だけ運航されており、昨年も12月に第3便が運航され、食品や雑貨などを輸出した。稚内市サハリン事務所は、貨物船の荷主の支援などをする。

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