今回、小説家・長薗安浩氏の「ベスト・レコメンド」。今回は、『Humankind 希望の歴史』上・下(ルトガー・ブレグマン著、野中香方子訳 文藝春秋 各1980円・税込み)を取り上げる。

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 人間の本質は善か、悪か?

 オランダ出身の歴史家、そしてジャーナリストでもあるルトガー・ブレグマンは、『Humankind 希望の歴史』の第1章で早々に自説を開陳する。「ほとんどの人は、本質的にかなり善良だ」と。とはいえ、この主張が多くの反論をよぶことぐらい、彼は熟知している。なぜなら、現代の社会システムはどれも性悪説に基づいて設計されているからだ。

 なぜそうなったのか。ブレグマンは、ホッブズ、ダーウィン、ドーキンス、アダム・スミスなどの定説から有名な心理学実験や事件報道まで独自に調査し、西洋思想の根底に暗い人間観が蔓延した経緯を明らかにする。

 中でも、人間の生来の愚かさの象徴とされてきた「イースター島の崩壊」がまったく事実に反していると判明する第6章は、見事な謎解きを読んでいるような興奮を覚える。また、普通の人の隠れた凶暴性を引き出したと称される「スタンフォード監獄実験」に対して、確固たる証拠とともに実験者による捏造があったと断定するあたりは、痛快ですらある。

 ブレグマンは、善人が悪人になる理由も詳しく検証した上で、どうすれば性善説に基づく社会を築けるか考察を進める。打倒性悪説で終わっていない点もこの本の魅力で、彼が紹介する豊富な実践例(刑務所、学校教育、在宅ケア組織など)には、きっと多くの読者が瞠目するだろう。

 テーマが「人間の本質」なだけに、この本は必ず読者を巻きこむ。そこを見通して、ブレグマンはエピローグで、彼自身の新たな<人生の指針一〇か条>を列挙。国内外で分断が進む現状は、性善説と向きあう好機かもしれない。

週刊朝日  2021年10月15日号