帰国したその年、複数のオーナーから援助を受け、歌舞伎町に「あーす歯科医院」を開業。「あーす」(earth)の名は、世界を旅した「あいのり」の経験からとった。観光バスのツアー先に指定され、多いときは1日3、40人の新規患者が訪れる日もあったが、約1年でたたんでしまう。

「オーナー陣は他業種に就いていたこともあり、売上主義が強かった。女性が持つブランドもののカバンや時計の値段を覚えさせられ、『相手がどのぐらいお金を持っているのか見極めろ』と言われたこともありました。そんな文化に疲れて、もっと好きに経営したいと思うようになったんです」

 移転先を探していた時、妻に勧められたのが、彼女の出身地である秋津だった。かつては人通りの少ない農村地帯だったが、1973年にJR新秋津駅が開業すると、住宅地や飲食店が激増した。
 見ず知らずの土地だったが、初診の患者には奥寺さん自身がお礼の手紙を書き、23時まで医院を開けるなど営業努力を重ねた。今では20~30代を中心に利用客が増え、多忙な日々を過ごしている。

 一方でハロウィーンには医院の前でお菓子を配ったり、クリスマスはひとり親の家庭の子どもにプレゼントを届けたり。地域の奉仕活動にも力を入れている。
「患者さんの子どものなかには、いつも同じ服しか着られなかったり、ハロウィーンでもお菓子を買ってもらえない子もいる。治療中にお話を聞きながら、自分に何ができるかを考えています」
 
 月収15万円の研修医時代には「お金持ちになりたい」「有名になりたい」という気持ちがすべての行動基準になっていた。しかし「それはもう十分に達成できました」と奥寺さんは言う。

「今は患者さんから『ありがとうございます』と言ってもらえることが純粋に嬉しいんです。自分自身、学生時代はろくに勉強もしていなかったし、決して褒められた人生ではなかった。でも歯医者の仕事をするようになって、やっと人から感謝をしてもらえるようになった。これからの人生は、人から受け取ってきたものを返す段階だと思っています」(松岡瑛理)