滝口悠生(たきぐち・ゆうしょう)/1982年、東京都生まれ。2016年「死んでいない者」で芥川賞受賞。他に『高架線』『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』など。 (撮影/朝山実)
滝口悠生(たきぐち・ゆうしょう)/1982年、東京都生まれ。2016年「死んでいない者」で芥川賞受賞。他に『高架線』『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』など。 (撮影/朝山実)

「目の前でしゃべっている人の話に耳を傾けることを大事にしています」

 この言葉は、一人ひとりときちんとかかわる滝口悠生さん自身の生き方を表しているとともに、小説を書くうえでの背骨にもなっているようだ。

『長い一日』(講談社、2475円※税込み)は、人生とは、一見よくわからないことや些細な偶然の連なりで成り立っているのだと思わせる作品だ。本の外見はハードカバーの縦の寸法が少し短く、昔からある博文館の日記帳を思わせる装丁になっている。

 主人公は小説家の男性だ。7年間暮らした借家からの引っ越しをめぐる<妻>とのやりとり、階下に住む大家の老夫婦との交流、友人宅での集まり、行きつけのスーパーのことなど、作者の実生活らしき日常が綴られている。まるで日記をのぞきみるような感覚になる。

 講談社のPR誌「本」に3年近く連載した文章がもとになっている。「読み切りエッセイで、日記のようなものを書きましょうということでスタートした」というが、「なんとなく小説に変貌してしまった」と明かす。

「小説の中の<私>は、ほぼ僕自身だったのですが……」。読み進むにつれ、妻の目を通した語り口になったり、友人が主人公になったり、当初の主人公が「滝口は」と客体化されたりもする。

 話者がするっと変わるのは、芥川賞受賞作「死んでいない者」をはじめ、滝口さんの小説の特色の一つでもあるが、慣れてくると視点が移り変わるのが面白くなってくる。

 特に印象に残るのは、<不染鉄(ふせんてつ)>という日本画家の展覧会を見に行った日の記述だ。展示中の風景画の中に、凡庸で長文の雑感が書き込んであるのを見て、<なぜわざわざ自作にそんな言葉を書き加えるのかがよくわからない>と疑問に思いながら、この画家と作品について考えたことを書き連ねている(再読すると、この章の重要性に気づかされる)。

 この画家は滝口さんの創作のように思えたが、調べてみたら1891年生まれの実在の画家だ。

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