半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。
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■横尾忠則「若い人は意欲を抱いてがんばって下さい」
セトウチさん
往はやっぱりテーマが欲しいです。先週に続いて今週も担編さん(まだ馴染めませんが)の鮎川さんに打診したら、こんなオファーが届きました。
「制作の意欲はどこから湧いてくるのか?」です。湧くということは泉のように底から噴き出すように現れるのが意欲なんですかね。そーいう意味では僕ではなく岡本太郎さん向きのテーマですね。太郎さんならきっと小さい眼を大きく見開いて両手を拡げて、「意欲とは戦いだ! 社会との戦いではなく己との戦いだ! 自己に克って初めて社会を征服するんだ。意欲こそ若者の特権だ。意欲なくして芸術は存在しない」とかなんとか、わけのわからんことを言われて、疲れますよね。では、もう少し疲れない禅僧に聞いてみましょう。
「意欲などというものは本来存在しないものです。在ると思うから存在するのです。意欲は去来する雑念です。そんな非存在にあれこれ振り廻されるな。喝!」でハイオシマイ。いずれにしても意欲は公案みたいなもので、その存在がわかりません。
若い頃は岡本太郎方式の意欲が通じますが、僕のように男性の平均寿命81歳を4年も越えた人間には意欲や好奇心は必要ないです。話は大きく飛びますが、人類は意欲を持ち過ぎた結果、もしかしたら文明によって崩壊するかも知れません。コロナだって追求していくと人間の過度な物質的欲望の結果、あんなものを作ってしまったのかも知れませんよ。
人間が老化するのも自然の摂理で実にうまくできていると思います。老齢と共にギラギラなるのではなく、むしろヘナヘナになって、非意欲的存在になっていくのが自然です。と同時に老齢が悟らせるのです。人間に本来備わった意欲的な欲望が退化するように神だか宇宙の摂理がそうさせてくれているのです。そのことに気づくにはやはり老齢にならなきゃわかりません。まだ意欲が沸々と煮えたぎっている間は欲望の虜のままで、悟りはまだまだ遠いです。