田原総一朗「刺激受けた立花隆氏との『角栄論』対談はかなわなかった」 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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田原総一朗「刺激受けた立花隆氏との『角栄論』対談はかなわなかった」

連載「ギロン堂」

田原総一朗週刊朝日#田原総一朗
田原総一朗・ジャーナリスト (c)朝日新聞社

田原総一朗・ジャーナリスト (c)朝日新聞社

イラスト/ウノ・カマキリ

イラスト/ウノ・カマキリ

 ジャーナリストの田原総一朗氏は、先日亡くなった立花隆氏の功績を称える。

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 4月30日にジャーナリストの立花隆氏が亡くなった。

 立花氏は1974年10月、当時の田中角栄首相をめぐる資金の流れと蓄財を綿密に調べ上げて、月刊誌「文藝春秋」に「田中角栄研究」を発表し、これが田中内閣の総辞職につながった。

 立花氏がすごいのは、田中角栄の金脈を詳細に調べ上げたことではなく、書いたことである。

 田中角栄が金権政治家であることは、日本国民の誰もが知っていた。立花氏が発表した金脈のからくりについては、実は共産党が調べ上げていて、国会でも何度か訴えていた。だが、どの新聞もテレビもまったく取り上げなかった。立花氏が追及できたのは、組織に属していなかったからこそだろう。

 田中角栄は、文字どおり政界のドンで、新聞、テレビの経営者たちは、彼と会えるのが自分の社会的地位の高さだと誇りにしていた。だから、田中角栄の金脈に触れることなど考えていなくて、田中角栄自身、それが自分の弱みだなどとはまったく考えていなかった。

 自民党の他派閥はもちろん、野党の議員たちの多くも、田中角栄からそれなりの金を提供されていた。田中内閣の末期に官房長官を務めた竹下登氏が私に、「時々、乱闘国会ということがあり、野党の議員たちが委員長に詰め寄り、乱闘めいたことが起きるが、起きる前に、台本が私のところに届けられていて、その台本と異なることはほとんどなかった。ときに異なったことが起きると、野党の幹部らが、私のところにやってきて謝罪した」と語っている。

 安定していた田中内閣が揺らぐきっかけとなったのは、第4次中東戦争が始まったことであった。

 73年10月に、ヨルダン川西岸やゴラン高原を占領しているイスラエルに対して、エジプト・シリア連合軍が攻撃。イスラエルも反撃に転じた。その後、ペルシャ湾岸6カ国は石油を武器として用いる戦略を打ち出した。OAPEC(アラブ石油輸出国機構)は、イスラエルに友好的な国への石油輸出を削減。イスラエルを支持する米国とオランダに対しては、即時禁輸措置に踏み切った。


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