丸山桂里奈 (撮影/写真部・高野楓菜 ヘアメイク/松田美穂)
丸山桂里奈 (撮影/写真部・高野楓菜 ヘアメイク/松田美穂)
丸山桂里奈さん(右)と林真理子さん (撮影/写真部・高野楓菜 ヘアメイク/松田美穂)
丸山桂里奈さん(右)と林真理子さん (撮影/写真部・高野楓菜 ヘアメイク/松田美穂)

 元サッカー女子日本代表で、現在タレントとして活躍中の丸山桂里奈さん。現役時代には、東京電力福島第1原発に勤めながらサッカーをしていました。震災から10年経つ今、福島への特別な思いを抱えているようで……。作家の林真理子さんとの対談で、人生の転機、福島のためにできることなどを明かしました。

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前編/福島第一原発が元職場の丸山桂里奈「福島の応援がW杯優勝につながった」】より続く

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林:丸山さんは小学何年生でサッカーを始めたんですか。

丸山:6年生で始めました。

林:当時、女の子のサッカー教室なんてあったんですか。

丸山:ぜんぜんなかったです。まず小学校の部活に入ったんですけど、そのときも男の子の中に一人でした。読売ヴェルディ(現・東京ヴェルディ)って男子のチームがあったんですけど、中学校のときに読売ヴェルディの女子チームの読売ベレーザ(現・日テレ・東京ヴェルディベレーザ)の下部組織にあたる読売メニーナ(現・日テレ・東京ヴェルディメニーナ)という少女チームのセレクションがあったんです。私は中学校でもサッカーを続けようと思ってたんですけど、中学校には男子のサッカー部しかなかったので、試しにメニーナを受けたら受かったんですよ。

林:すごいじゃないですか。

丸山:ぜんぜんうまくなかったんですけど、足がメチャクチャ速くて、それだけで受かったんです。だから中学の3年間は読売メニーナでサッカーをしてました。そのとき、メニーナの上位チームにあたる読売ベレーザに、澤(穂希)さんがいたんです。

林:あ、そうなんですか。

丸山:そのときから澤さんにはけっこう可愛がってもらってて、この人といつかサッカーしたいなと思っていたら、澤さんがアメリカに行っちゃったんです。そのころ、私もベレーザに上がる話があって、ベレーザに入ってやったほうがうまくなることは想像できたけど、女子の高校サッカー選手権があるということを聞いて、「自分が行く高校サッカーを自分が強くしたい」と思っちゃったんです。だから読売ベレーザには上がらずに高校に進みました。私はそうやって、人生の選択として、絶対こっちを選んだほうがいいというのとは、違うほうを選んできてるんです。

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