遺品もハードディスク2枚のみとし「それ以外は全部捨てていいからね。もし大事そうに思えるものがあったとしても、それは捨てていいから」と添えていた。

 亡くなる前に(自分の死を)伝えようと思って電話をしたのに、話せなかった人もいれば、電話すらできなかった人もいる。そんな人には連絡してほしい、と死後に連絡すべき人も稚子さんに細かく伝えていた。

 稚子さんの引っ越し先も探していた。「死後1カ月以内に」と指定までしていた。

「指示どおりにはいきませんでしたが、夫の四十九日を終えてからそこに移り住み、今もそこに暮らしています。夫もここにいるようです」

 金子家の夫婦じまいはほぼ完璧といえるだろう。

「あのときは必死で、『今話しているのは哲ちゃんが死んだら私がやることだよね』『そうだよ、稚がやることだよ、頼んだからね』と、淡々と進めていた気がします。でも今思えば、もうちょっと彼に甘えていても良かったかもしれません。『死なないで。一人にしないで』と彼にぶつけていたら、二人で一緒に泣けていたかもしれないから」

 二人の「夫婦じまい」の詳細は、哲雄さんの最後の著書『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』となった。

 編集者としても寄り添った稚子さんは今、哲雄さんの遺志を引き継ぎ、死の前後に関する情報発信や心のサポートを行う「ライフ・ターミナル・ネットワーク」の代表として活動する。夫婦の間に子どもはいない。稚子さんは、子どもの有無にかかわらず誰しも生前から垣根を越えて付き合える人を何人か集めて、「自分の人生のチーム」を作っておくべきと説く。可能ならばそのメンバーの中に若い人も入れる。チームがあれば将来一人になったり、困ったりすることがあっても仲間がいることが生きる支えになるからだ。(本誌・大崎百紀)

週刊朝日  2021年2月19日号より抜粋