木村太郎は“元祖”帰国子女 英語堪能な姉は戦争に翻弄させられ (1/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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木村太郎は“元祖”帰国子女 英語堪能な姉は戦争に翻弄させられ

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木村太郎さん(右)と林真理子さん (撮影/写真部・掛祥葉子)

木村太郎さん(右)と林真理子さん (撮影/写真部・掛祥葉子)

木村太郎 (撮影/写真部・掛祥葉子)

木村太郎 (撮影/写真部・掛祥葉子)

 ジャーナリスト・木村太郎さんは現在82歳。世界を語る裏には、ドラマチックな人生秘話が凝縮されていました。意外な逸話が飛び出した作家・林真理子さんとの対談をお送りします。

※【「トランプのIQは高いと思う」大統領選予想外れ“謹慎中”の木村太郎が語る】より続く

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林:木村さんは慶応を出てNHKに入って、海外特派員や「ニュースセンター9時」のキャスターをなさって、王道のエリートの道を歩かれたのかと思ってたら、いろいろ資料を読んで過去を知るだに、まあすごい人生を歩まれたんだなと思って。

木村:アハハハ、そうですよ。

林:木村さん、実はすごい初期の帰国子女なんですよね。カリフォルニアのバークリーのお生まれですけど、お父さまのお仕事の関係であちらにいらしてたんですか。

木村:親父は横浜正金銀行という日本の国策植民地銀行に行っていて、今の三菱UFJ銀行ですね。転勤でそこに行ってたんですが、戦争が始まりそうになってきたので、親父を残して、1941年に母と僕たち子どもは日本に帰ってきました。当時、僕は3歳でした。

林:1941年というと昭和16年ですね。その帰りの船にオノ・ヨーコさんも乗ってたって、すごい話ですね。オノ・ヨーコさんのお父さまも横浜正金銀行だったんですよね。

木村:そうなんです。親父同士が同僚だったんですね。ヨーコさんはそのあと姉が学校で一緒だったんです。その数十年後、僕がフジで番組を持ってたときに、ゲストでスタジオにお呼びしたことがあって、「わざわざおいでいただいてありがとうございます」と言ったら、「ヤァね、太郎ちゃん」って本番で言われちゃって(笑)。

林:いろいろ資料を読んでいくうちに、私、お姉さまにも興味を持って、今日はお姉さまのこともお聞きしたいと思ってるんです。

木村:よかったらこの本、差し上げます。僕が姉のことを書いた本なんです。

林:『ディア・グロリア 戦争で投函されなかった250通の手紙』。わっ、ありがとうございます!

木村:姉が2人いて、上の姉が10年ちょっと前、病気で倒れて入院したので、僕が姉の家の整理をしに行ったら、英語で書いた日記が山ほど出てきたんです。戦争中、ニューヨークで別れた親友に書いた手紙の形で日記を書いてたんですね。読んで「これはおもしろい。本にしてやらなきゃ死にきれないだろう」と思って、僕が本にしたんです。


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