あの700ページの本は、とても一晩の徹夜なんかで読めるものじゃありません。

 読みはじめたら、ヨコオさんという世界に誇れる日本の芸術家の変わった日常生活の中に、たちまち巻き込まれてしまって、その中から抜けられなくなってしまったのです。

 何が起こってもビクともしない世にも頼もしいヨコオ夫人や、しょっちゅうヨコオさんのベッドにおしっこをしてしまうのおでんと、なじみになったものの、天下の天才の絶間(たえま)ない新しい想像力や、芸術的夢の変遷についてゆくなんて出来るものではありません。

 あれよ、あれよと、愕(おどろ)き、呆(あき)れ、ひたすら走りつづける天才の思いや行動に落(おと)されまいと、追っかけるだけでした。

 とても私は、こうは思えない、こうは行動できないと、思いつづけながら、ヨコオさんの描く天才三島の行動や、ヨコオさん自身のキテレツな思念や行動に目を見張るばかりなのです。私は自分が逆立ちしても、せいぜい秀才に毛が生えた程度の人間だと自覚しているので、本物の天才に心の底から憧れています。憧れは恋になります。

 恋は思いがけない奇蹟(きせき)を産みます。

 私の熱烈な憧れは、いつか実を結んで、この世で、真の天才に逢(あ)わせてくれるようになったのです。その第一人者が、私にとっては三島由紀夫でした。

 なんであんなに早く、死んでしまったのかと、今でも腹が立ちますが、この世に産れて、大方百年ばかりも生きながらえてきた中で、何がよかったと聞かれると、迷いなく、生きた三島由紀夫と知りあい、奇妙な友情を交えたことを一番にあげるでしょう。

 ヨコオさんは、私よりずっと若いくせに、三島さんに愛されて、様々な誇らしい想(おも)い出を一杯持っていることは羨(うらや)ましいというより妬ましいです。でも私はあくまで女として産れているので、三島さんの愛の対象にはならないのです。

 けれども不思議な文通だけの友情が産れ、それが三島さんのあの討入(うちい)りの日までつづいたのは、何という奇蹟だったでしょう。

 ああ、こう書いていると、胸に迫って涙があふれてきます。

 いつか二人で、三島さんをゆっくり偲(しの)びましょうね。

では また

週刊朝日  2020年10月23日号