作家でエッセイでもウソをつく人がいますね。小説はフィクションだからウソで結構ですが、エッセイでウソをつくのはどうしてですかね。本質的にウソつきの性格の人が小説家になるんですかね。僕はエッセイでは絶対ウソは書きませんが、夢はもともと作られたものですから、それ自体がウソですよね。ということは人間はウソをつかないと生きて行けないということですかね。でも夢は意識してウソをついているのではなく、こちらの知らないうちにウソをついて、ウソの話をするということですよね。一種の精神の浄化作用ですかね。

 とすると、夢はフィクションということですかね。毎晩寝ると小説の世界の主人公になって活躍するということですよね。ところが僕の最近の夢はウソをつかない夢に変(かわ)ってきているんです。現実だと言っても不思議ではないような現実がそのまま夢の中に移植されてしまって、折角(せっかく)の夜の現実が昼の現実と同化して、夜の時間に昼の時間が食い込んでしまっているんです。これは面白くないことです。つまり無意識が顕在意識になってしまったので、夢というより現実です。三島さんは「俺には無意識がない」と言っていたのを想(おも)い出しました。

■瀬戸内寂聴「天才三島に心底から憧れ、逢えた奇蹟」

 ヨコオさんへ

 いきなり夏から秋に飛んでしまって、体も神経もあわてて、現状についていけなく、ガタガタしています。私は秘書のまなほの生後十か月の男の子の風邪がうつって、調子が悪いです。お酒まで不味(まず)くなり、よたよたしてさっぱりです。ちょっと不調になると、速く死にたいなと思うのは、年のせいというのでしょう。

 死んだら、どこへ行くのか、何があるのか、よく聞かれるけれど、そんなこと知るかい! 坊主になったくらいで、そんなことわかる筈(はず)ないよ!

 ヨコオさんの今度出版された『創作の秘宝日記』を、私は一晩徹夜で読了したと、お便りで書きましたね、あれはウソです。ほんとは二晩徹夜しています。それを秘書のまなほが、

「二晩もかかったなんて、老人くさい」

 とか言ったので、一晩に書き直したのです。

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