菅氏の公式プロフィールの欄には、アルコール「全然ダメ」、趣味「渓流釣り、ウォーキング」とある。実際はどうなのか。

「大学のクラスコンパには出ていたから、ビールもコップ1杯程度なら飲めると思いますが、私も飲めず、2人で飲みに行ったことがないし、彼もアルコールは好きじゃないと思います。趣味の渓流釣りというのは、アユ釣りのことではないですかね。アユ釣りが得意で、水槽が一杯になるほど大量に釣れたことがあります。地元のアユ釣り大会で何度も優勝したことがあると言っていました。あの頃、好きな食べ物はハタハタの煮物で、『ハタハタがお袋の味だよ』といつも言っていました」

 学生時代は空手に熱中し、空手の練習一筋だった。大学の校舎の屋上で、いつも練習しているのを見かけた。

「練習がきつく、血尿が出たと言っていた時もありました。荒技をやっていて、指紋が消えちゃうくらいの練習をしていました。他の空手部員がどんどん辞めていく中、菅君は辞めずに貫き通しましたね。大学入学まで2年のブランクがあったからか、主将にはなれませんでしたが、副主将になれた」

 大学時代は弟と東京都大田区で、下宿住まいをしていたという。寺田さんもよく遊びに出かけた。

「菅君は空手に熱中していたから、学校の試験の範囲とか、卒業レポートとかの連絡は、私がしてあげていました。彼も私も、大学の第2外国語は中国語を専攻していました。私は中国語が得意でね。テスト前には、ここが出そうだという箇所を教えてあげていた。ズバリそれが出て、菅君から感謝されたことがありました。私の結婚式の披露宴では、『卒業できたのは寺田君のおかげ』、と菅君はスピーチしてくれました」

 菅氏は、大学の就職課で政治家になる人脈を紹介されたとされる。大学卒業後、菅氏はいったん、民間企業に就職していた。

「菅君は大学を卒業し、高速道路の照明灯などを設置したり、修理したりする建設会社の営業に就職しました。だけど、仕事が合わなくて、嫌だったらしく、仕事の合間をみては、しょっちゅう、うちに来ていましたよ。1~2年したら、菅君が『小此木彦三郎って知ってる? おれ、そこの秘書になったんだ』と話してくれました」

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秋田の実家に溶け込もうと一生懸命だった真理子夫人