秋田県の高松岳に登った20歳ごろの菅氏(左の人物)
秋田県の高松岳に登った20歳ごろの菅氏(左の人物)

「ヨシが首相に選ばれて、嬉しいです。これまでの努力が報われた。あの頃、まさか総理になるなんて思ってもいなかった。まりちゃん(真理子夫人)がいなければなれなかったと思います」

【写真】「まりちゃん」と呼ばれていたファーストレディの真理子夫人

 こう話すのは、9月14日に自民党総裁選に勝利し、新首相となることが決まった菅義偉氏と法政大の同級生だった親友の寺田修一さん(71)。菅氏と知り合ったのは、大学に入学してまもなくのこと。

「大学時代、菅君のことは『ヨシ』と呼んでいました。菅君の家族も『ヨシ』と呼んでましたよ」

 菅氏は大学では空手部に所属。沖縄空手の『剛柔流』を習得した。部活とは別に、教養課程の体育の授業でも『空手』を履修していた。

「私も体育の授業で『空手』を選択したから、菅君がいたんです。親しくなってまもなく、『うちの秋田の実家に遊びに来いよ』と誘われました。私も純粋だったし、秋田の田舎へ行けるいいチャンスと思って、夏休みに行きました」

 菅氏は秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現・湯沢市)出身。まだ20歳前後だった2人は、秋田県の高松岳(標高1349メートル)を一緒に登ったという。

「菅君の実家では、温かく迎えてもらいました。彼は4人きょうだいの3番目で、上に長女と次女がいて、下に弟がいます。家族と親しくなったものだから、菅君とは忙しくて会えなくなってからも、私一人で、毎年のように盆と正月は、秋田の実家へ遊びに行ってました」

 菅氏の父親・和三郎氏は元町議で、地元のいちご生産出荷組合の組合長を長年勤めていた。寺田氏によれば、菅氏の母親は元教員で、2人の姉も教員として働いていたという。

「だから教員一家ですよね。建て替える前の家は質素なものでしたよ。雪が多いから、2階から出入りしていた。泊まりに行ったら、戸の隙間から雪が吹きつけて、寒いのなんの」

 この頃、菅氏が後に政治家になる片鱗を見せる場面があったという。

「お父さんからは、中国で1960年代に『農業は大寨に学べ』と言われていたのを研究して、秋田県でもいちごができるはずだと思って栽培を始めたことを聞きました。町議選の前、菅君は学生なのに、父親に『このやり方じゃ、ダメだよ』などと、選挙のやり方をしょっちゅう、アドバイスしていたのを私は横で聞いていました。今思えば、菅君の政治家としての芽がその時、育っていたのかなと思います」

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上田耕司

上田耕司

福井県出身。大学を卒業後、ファッション業界で記者デビュー。20代後半から大手出版社の雑誌に転身。学年誌から週刊誌、飲食・旅行に至るまで幅広い分野の編集部を経験。その後、いくつかの出版社勤務を経て、現職。

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血尿が出るほど空手に熱中