山本寛斎氏死去、デビット・ボウイの衣装も手掛けた異才が世界に伝えた日本の美意識とは (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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山本寛斎氏死去、デビット・ボウイの衣装も手掛けた異才が世界に伝えた日本の美意識とは

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菊地陽子週刊朝日
在りし日の山本寛斎さん(撮影・横関一浩)

在りし日の山本寛斎さん(撮影・横関一浩)

 世界的なデザイナーの山本寛斎さんが亡くなっていたことが7月27日、わかった。娘で女優の山本未來さんがインタスグラムを通じて公表した。家族に見守れられて21日に逝去したという。76歳だった。

 エネルギッシュで、パワフルなショーやイベントで人びとを魅了した山本さん。デビット・ボウイのステージ衣装を手掛けたことでも有名だ。週刊朝日は生前の山本さんに単独インタビュー。服作りの哲学を熱く語っていた。山本さんが世界に伝えたかった美意識とは。2018年4月27日号で掲載したインタビューを再録する。

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 誰かを見つけては何かを思いつき、会いに行って、直接話す。説得する。山本寛斎さんの毎日は、飽くなき好奇心と行動力とともに進んでいく。

「人前ではあまりお見せしないのですが、私にも、元気がないときはあります。そんなときどうしたら元気が出るか。私のエネルギー源は、“人”なんです。私よりももっと大変なことをやって頑張っている人を見る。その人の書いた本を読む。そうすると、“こうしちゃいられないぞ”と、ムクムクと元気が湧いてきます」

 日本人として初めてロンドンでショウを開催したのが1971年。ファッションというジャンルに特化しながらも、表現したかったのは、“日本文化の有りよう”だった。

「私の服作りは、日光東照宮の美学に非常に似ています。華麗で力強くてカラフルな、“婆娑羅(ばさら)”という美意識。それは、世界中の人たちが抱く禅的な日本文化のイメージとは対極にあるものです。でも、日本にだって、こういう華美な、エネルギッシュな文化はあるんだということを、広く世界に伝えたかった」

 そんな独特の美意識が、最近また世界的な脚光を浴びている。ファッション界は寛斎さんの再ブームが起こり、滋賀のミホ・ミュージアムで開催されたルイ・ヴィトンの2018年のクルーズコレクションは、寛斎さんとのコラボレーションにより生まれた新しいグラフィックデザインが随所に用いられていた。


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