伝説の女優・原節子、実はたばこやビールが好き 素顔と隠遁生活の晩年 (1/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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伝説の女優・原節子、実はたばこやビールが好き 素顔と隠遁生活の晩年

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岩下明日香週刊朝日
自宅の庭と思われる場所でほほ笑む原 (c)Yuji Hayata/JDC

自宅の庭と思われる場所でほほ笑む原 (c)Yuji Hayata/JDC

高い生け垣に囲われた神奈川県鎌倉市内の原節子宅

高い生け垣に囲われた神奈川県鎌倉市内の原節子宅

 昭和を代表する「伝説の女優」原節子が誕生して100年を迎える。戦前から戦後にかけて数多くの映画に出演したが、42歳の若さで引退し、表舞台から姿を消した。そして、2015年に95歳で静かに永遠の眠りにつく。突然の引退とミステリアスな隠遁生活の謎を振り返る。

【写真】高い生け垣に囲われた神奈川県鎌倉市内の原節子宅

「せっちゃん、せっちゃんと、早田さんは呼んでおりました。彼女のことだけはそっとしておいてあげてくれと、生前に言い残していましたね、遺言のように」

 こう語るのは、石原裕次郎や高倉健、美空ひばりなど多くのスターを撮影してきた写真家・早田雄二(1916~95年)の作品を預かる藤山容子さん。その中に、原節子の自宅庭で撮ったと思われる写真があった。

 新緑を背景にシックなデザインの半袖ワンピースを身にまとい、しなやかなポーズでカメラに向けてほほ笑む姿。撮影日は不明。原は引退後、マスコミからの取材をすべて断っていたため、引退前に撮影したものだろうか。藤山さんがこう語る。

「もとは原さんのお兄さん(撮影技師の会田吉男)が原さんのカメラマンをしていたんですが、映画の撮影中に事故で亡くなってしまい、その後を早田さんが受け継いだようです。何度か自宅に招かれて、普段着姿の原さんを撮ったと聞いています」

 早田は、撮影するスターの素顔をほとんど周囲に語らない写真家だったという。それゆえ、原は信頼を寄せていたのかもしれない。

 原は、1935年に15歳でデビューする。モノクロのサイレント映画だった当時、大きな目のはっきりとした顔立ちがスクリーンに映える少女だった。『原節子 あるがままに生きて』(朝日文庫)の著者で映画評論家の貴田庄さんがこう解説する。

「原さんは、もともと映画女優を好んでやっていたわけではなかった。希望の進学先に落ち、家庭の経済的な事情もあった。そこへ義理の兄で映画監督の熊谷久虎が、原を日活に勧めたのです。日活は京都から東京に現代劇の撮影所を移したばかりで、新人を探していたところだった。14、15歳で自分から将来を決めるというのは、考えにくい。偶然が重なって女優になったのでしょう」


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