《岡本行夫さんは外務省北米一課長まで務めたエリート。退官して、首相補佐官にも2度就き、対米外交のプロといわれている。》

 私が遼東半島に行ったのは2002年です。二〇三高地とはその名前のとおりのほんとうに小さな丘でした。ロシアの要塞は残っていましたが、こんなところを奪うのに日本兵が6万人近くも死傷したと考えると歩きながら涙が出てきました。

 乃木将軍とステッセルが会見した水師営も見ましたが、乃木将軍と伊地知参謀は、死者が大量に出るとわかっていながら、どうして戦略を変えずにこだわったのか。乃木さんは漢詩など優れた作品を残している文化人でもありますが、戦略家としては失格だったという気がします。

 日露戦争に奇跡的に勝ったことで、日本は勘違いして満州国をどんどん大きくしていった。ここから太平洋戦争にいたるまでの日本の悲劇が始まった。自国ではなく他国に行って戦争をしながら領土を広げていくのは、とにかく間違っています。

《岡本さんは、東日本大震災の被災地を見て呆然とした。現地で復興の遅さを感じ、民間プロジェクトを立ち上げたという。》

 大変な震災で、津波にさらわれて何もなくなった場所に立つと、戦争直後の日本の姿と重なって見えることがあります。東北の漁港機能の早期再開を支援する「希望の烽火プロジェクト」と名付けて、宮城県の石巻や女川など10カ所近くに大型の中古冷凍コンテナや車両を供与します。

 コンテナはマイナス25度の保冷能力があり、1基あたり最大20トンの氷を貯蔵できる。海に恵まれた日本を復興させるには漁業を立て直していかないといけない。政府の行動の遅さが指摘されていますが、その間の民間支援が少しでもできればと思っています。大震災で東北沿岸の漁業の被害が大きかった。漁業は東北の柱の一つ。廃業者を出させてはいけません。
(構成 本誌・山本朋史)

<協力・司馬遼太郎記念財団>

週刊朝日  2011年8月26日号