新型コロナウイルスで亡くなった岡本行夫さん(C)朝日新聞社
新型コロナウイルスで亡くなった岡本行夫さん(C)朝日新聞社

 橋本政権などで首相補佐官を務めた外交評論家の岡本行夫(おかもと・ゆきお)さんが新型コロナウイルスに感染し、4月24日に死去したことがわかった。74歳だった。

 岡本さんは神奈川県出身で1968年外務省に入省し、北米1課長などを経て91年に退官。96年11月~98年3月に橋本龍太郎内閣で、2003年4月~04年3月に小泉純一郎内閣で首相補佐官を務め、米軍普天間飛行場問題、イラク復興支援に当たった。

 外交官だった岡本さんが生前、自身のキャリアを振り返りながら、司馬遼太郎作品に登場する小村寿太郎、東郷平八郎、児玉源太郎、乃木将軍らについて論評するという珍しいインタビューが週刊朝日に残されている。

 戦争については「日露戦争に奇跡的に勝ったことで、日本は勘違いして満州国をどんどん大きくしていった。ここから太平洋戦争にいたるまでの日本の悲劇が始まった」とし、東日本大震災の被災地については「戦争直後の日本の姿と重なって見える」などと語っている。2011年8月26日発行号で掲載されたインタビューを再録する。

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『坂の上の雲』はサンケイ新聞の連載をつまみ読みしていましたが、熟読したのは、私がアメリカ勤務のときで、1983年ごろです。日本がバブル期で、肩で風を切っていたころです。明治時代の日本人とは大違いだと思って『坂の上の雲』に熱中しました。当時のロシアは満州を狙い、韓国までも領土にしようとしていたわけですから、日本にとっては祖国防衛戦争でした。

 奇跡的な勝利でした。私も外交官でしたから7年3カ月も外務大臣をした小村寿太郎に興味があって調べたことがあります。小村はずば抜けた頭脳で分析し、ロシアとの開戦を勧め、米国を味方につけてポーツマス条約を締結させました。でも、私だったら小村と違って、日露戦争を最後まで止める立場に立ったと思います。

 東郷や児玉源太郎のおかげで、ぎりぎり勝った形になりましたが、それは運、国際的な日本への支援があったからです。それを一部の軍部と国民は「大勝」と勘違いした。司馬さんが書いた日本海海戦の部分は、何度読んでも興奮します。私は個人的には東郷平八郎と秋山真之が好きですね。

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東日本大震災と敗戦が重なり