黒川博行(くろかわ・ひろゆき)/1949年生まれ、大阪府在住。86年に「キャッツアイころがった」でサントリーミステリー大賞、96年に「カウント・プラン」で日本推理作家協会賞、2014年に『破門』で直木賞。放し飼いにしているオカメインコのマキをこよなく愛する (写真=朝日新聞社)
黒川博行(くろかわ・ひろゆき)/1949年生まれ、大阪府在住。86年に「キャッツアイころがった」でサントリーミステリー大賞、96年に「カウント・プラン」で日本推理作家協会賞、2014年に『破門』で直木賞。放し飼いにしているオカメインコのマキをこよなく愛する (写真=朝日新聞社)
※写真はイメージです (GettyImages)
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 ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回は作家としての流儀について。

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 83年の夏、第一回サントリーミステリー大賞の公募を知り、小説というものを書いてみようと思った。

 が、小説作法を知らない。手もとの文庫本を見て、「 」のセリフにつづく文章は改行し、アタマの一字分を下げる──、場面が変わったときは一行を空白にする──と、その程度の知識をもって、コクヨの原稿用紙に鉛筆で書きはじめた(この原稿は『二度のさようなら』というタイトルで応募し、あとで『二度のお別れ』に改題した)が、ブランドを含む固有名詞の扱いが分からない。誘拐現場になった銀行を『三協銀行新大阪支店』、捜査本部のおかれた所轄署を『北淀川署』と、架空のものにする程度の知恵はあったが、車の車種をどうするかが分からなかった。で、クラウンを『キラウン』、セドリックを『セドニック』としたが、これはあとで編集者に「社会的に認知されている名詞はそのままでいい」といわれ、単行本では『クラウン』『セドリック』になっている。

 そうして作家デビューしたあとも、固有名詞の扱いにはけっこう神経を使っている。なかでも商標登録されているブランドの製品がむずかしい。

 たとえば『キャタピラ』。これは米国キャタピラー社の登録だが、普通名詞だと“無限軌道”だ。“キャタピラ”は多くの読者が知っているだろうが、これを“無限軌道”と書くと、なんのことですか、になってしまうから、わたしは遠慮がちに、「パワーショベルが溝に落ちた。ぬかるみにキャタピラが空転する」というふうに書く。「無限軌道が空転」するでは映像が浮かばない。

 ついでにいうと、パワーショベルは建設業界で広く認知されている『ユンボ』を使いたいが、これも商標登録されている。パワーショベルも正しくは『バックホウ』だろうが、小説には適さない。

 もうひとつ、ついでにいうと、シャベルとスコップは関東と関西で意味が逆転する。ツルハシとセットで使う長い柄のついたものを関東ではスコップ、関西ではシャベルと呼ぶ。

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黒川博行(くろかわ・ひろゆき)/1949年生まれ、大阪府在住。86年に「キャッツアイころがった」でサントリーミステリー大賞、96年に「カウント・プラン」で日本推理作家協会賞、2014年に『破門』で直木賞。放し飼いにしているオカメインコのマキをこよなく愛する

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