話が逸れた。商標登録されたブランドの製品だ。長く小説を書いてきて、なにをどう言い換えればいいかを学んだ(校閲に指摘されるたびに知識が増える)。

 ボンド→合成接着剤、セロテープ→セロハンテープ、ホチキス→ステープラー、ウォシュレット→温水洗浄便座、サランラップ→ラップ、バンドエイド→絆創膏、宅急便→宅配便……。あまりに神経質になることもないと思うが、小説の中で窃盗犯がボンドやセロテープを使ったり、宅急便を利用した偽電話詐欺の場面を書いたりすると、クレームがくるかもしれない。犯罪組織や裏社会の団体も実在しそうな名称はくれぐれも注意して避ける。

 ブランドとは関係ないが、デビューしたころ校閲に指摘されて(そう、むかしの校閲は厳しかった)印象に残った言葉がふたつある。

 ひとつは“吐瀉物”。ミステリーではよく使う言葉で、犯罪現場に「被害者の吐瀉物があった」というふうに書かれるが、“吐”は“吐”で“瀉”は“瀉(くだ)す”だ。腹を瀉したら下痢だろう。ゆえに“吐瀉物”は口から出た“吐物”と下から出た“瀉物”混じったものになる。だからわたしは“嘔吐物”と書く。

 そしてもうひとつは“百歩譲って”だ。いまでこそ誰もが使うが、百歩も譲ったら相手の顔が見えないし、声も聞こえない。わたしは“一歩譲って”と書く。

週刊朝日  2020年5月1日号

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黒川博行

黒川博行

黒川博行(くろかわ・ひろゆき)/1949年生まれ、大阪府在住。86年に「キャッツアイころがった」でサントリーミステリー大賞、96年に「カウント・プラン」で日本推理作家協会賞、2014年に『破門』で直木賞。放し飼いにしているオカメインコのマキをこよなく愛する

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