芸術的創造の開示は芸術家の直観や霊感(インスピレーション)によって蘇(よみがえ)らされるのです。日本の政府のコロナ対策が後手、後手に廻(まわ)ったのは、危機が現実化して初めて行動を起こしたからです。ありとあらゆる情報のデータを集めて、さらに用心深く検討をしているから、行動が遅れるのです。もし政府の中に、芸術的、創造的直感力の優れた人がいれば、もっと先行した予知能力によって俊敏な行動が起こせたはずです。

 都市封鎖だって現実になりかねません。そんな時にこそ、未来を読む直感的予知能力を持った指導者が必要です。しかし残念ながら、そんな人はひとりもいません。相変わらず外国の動向に従ったり、政治的配慮を先行してみたりで、おおよそ、人間が本来有している野性的能力を忘れてというか失って、メディアが発信する情報の収集に、これも後手、後手に廻りながら、オタオタした政府の醜態に国民は振り廻されているだけです。

 来年の夏までにオリンピックを開催したいというのは、あくまでも政府の心情で、コロナウイルスの終息の根拠は全く示されていません。来年の五輪だって危ういものです。コロナウイルスを終息させる現実的対処を示さないで開催を夏までにと言っても信用できません。多分、もう一度延期の発表をすることになるでしょう。セトウチさん。それまで冬眠していて下さい。

■瀬戸内寂聴「コロナ禍に仕事がしたくなくなって」

 ヨコオさん

 今年の春は早く来て、もう寂庵の桜はすっかり散り、庭は落ちた花びらで、雪のように真っ白です。その代わり、椿(つばき)の勢いがよく、赤も白も、まだらも、それぞれ例年より勢いよく枝一杯に花を開いています。どの椿も人の背丈の半分もないのを、植えてくれたのが、今では御堂の屋根を越しています。引っ越し好きの私が、この寂庵を造って以来、四十五年も、引っ越さず、居ついてしまったまま、終(つい)の棲家(すみか)になるらしいのも、不思議な因縁です。草一本なかった造成地に今や森のように樹々がのび、季節の花々が絶えないのも感慨を深めます。樹も花も、すべて訪ねてくれた人々からいただいたものばかりで、その方々は大半なくなっていらっしゃるのです。訪問客の多い寂庵も、コロナ旋風で、国中(じゅう)がひっそりして、外出を止められているので、毎月の写経も法話もすべて休みにして門はとざしているから、全く静寂そのものです。ようやく名の如(ごと)く静かな寂庵になっています。もしかしたら、あの世もこんな寂(しず)かさなのかな、など、ちらりと思ったりしています。

次のページ