演劇界屈指の個性派俳優とも称される生瀬勝久さん。現在、上演中の舞台KERA CROSS 第二段「グッドバイ」では演出を務めています。芝居はもちろんプライベートでも独自のポリシーの持ち主でした。作家・林真理子さんが謎に包まれた素顔に迫ります。
【前編/演劇はギャンブル? 生瀬勝久「蜷川さんでもつまんない作品もある」】より続く
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林:やっぱり演出って楽しいですか。
生瀬:楽しいです。ものをつくることが好きなんでしょうね。「これからみんなで知恵をしぼって楽しいことをやるんだ。プロとしてお金をもらう作品をつくるんだ」というのがね。僕が劇団活動をしてたときは、対価がなかったんです。もちろんチケット代はいただくんですけど、次の作品のためにすべてストックして、自分たちには一銭も入らない状況で10年以上やり続けてきた。今もそれの延長なんです。いま僕はいろんなメディアに出させていただいて対価をいただいてるんですけど、これ、ラッキーとしか思ってないんですよ。
林:そうなんですか。
生瀬:無償でやってたときと何が違うのかと言われても、自分の中では何も変わらない。今、たまたま認知されて、対価をいただいて、これは本当にラッキーなんです。
林:もともと生瀬さんは同志社大のご出身で、就職が決まってたのに、それを蹴ってお芝居の道に進んだんですよね。すぐ売れたんですか。
生瀬:売れないです。バイトしてました。朝ドラ(「純ちゃんの応援歌」88~89年)に出たのは28歳のときなんです。僕、1浪して2年留年したので、卒業したのが25歳ですから、3年ぐらいはブラブラしてました。貧乏といったって、何しても食えましたからね。
林:確かに、あのころはね。
生瀬:僕、貧乏自慢って絶対イヤなんですよ。苦労したとか挫折したという感覚がまったくないんです。人から「生瀬、あそこで挫折したよね」って言われてもおかしくないんですけど、僕はまったくそんなふうに思わないんです。
林:ずっと前から舞台にいい役で立ってらして、気がついたらテレビにもいっぱい出ていたというのが、お芝居好きな人の感覚だと思います。脚本もお書きになるんでしょう?