当時中学生だった池上彰が振り返る「1964年東京五輪の光と影」 最大のレガシーとは? (1/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

当時中学生だった池上彰が振り返る「1964年東京五輪の光と影」 最大のレガシーとは?

このエントリーをはてなブックマークに追加
週刊朝日
池上彰さん (c)朝日新聞社

池上彰さん (c)朝日新聞社

汚水と悪臭の川になりはてていた隅田川=1960年3月 (c)朝日新聞社

汚水と悪臭の川になりはてていた隅田川=1960年3月 (c)朝日新聞社

閉会式で各国の選手に肩車される日本選手団の福井誠旗手 (c)朝日新聞社

閉会式で各国の選手に肩車される日本選手団の福井誠旗手 (c)朝日新聞社

 2020年夏、オリンピックが56年ぶりに東京にやってくる。スポーツの祭典は何をもたらすのか。1964年大会の光と影を、当時中学生だったジャーナリストの池上彰さんに振り返ってもらった。

【写真】当時汚水と悪臭の川になりはてていた隅田川

*  *  *
 64年10月10日の東京は雲一つない快晴だった。国立競技場の上空で、航空自衛隊のブルーインパルスが、くっきりと五輪を描いた。青空のもと、各国選手団が入場行進を始める。心躍る瞬間。東京オリンピックが始まった。

 しかし、あのときの東京の現実を、どれだけの人が知っているのだろう。当時、私は東京都内に住む中学生だった。

 当時の開会式の映像を見た人は、東京がスモッグに覆われていたことを知らないだろう。「あんなに空気が汚いところでマラソン選手を走らせるのは人権問題ではないか」という海外からの批判の声が聞こえていたくらいだ。実は開会式前夜から未明にかけて大雨が降り、スモッグを洗い流していたので青空だったのだ。

 あの頃の東京は、高度経済成長の真っただ中。工場がモクモクと排煙を出すのは、豊かさへと進む日本の象徴だった。隅田川や神田川、多摩川には各家庭から出る生活排水が流れ込み、悪臭を放っていた。

 それまでの東京の街はゴミだらけ。誰もが道路にポイポイとゴミを捨てていた。これに危機感を抱いた東京都は、「ゴミはゴミ箱に捨てましょう」という一大キャンペーンを展開。街のあちこちにゴミ箱を設置した。私が住んでいた東京都内の住宅街でも、町内会を挙げて清掃運動が繰り広げられた。家の前を流れている排水溝から泥を掬(すく)い上げ、道路に放置。道路は舗装されていなかったから、泥はやがて土に還(かえ)った。

 当時は大気汚染がひどく、痰(たん)を吐く人が多かったので、「痰は痰壺(たんつぼ)に吐きましょう」という運動も行われ、駅のホームには、白い陶器の痰壺が設置された。

 痰壺は、オリンピック後も長く駅のホームに居続けた。いまでも覚えているが、オリンピックが終わった後の1970年前後でも、山手線渋谷駅のハチ公口に降りるホームに白い陶器があったものだ。


トップにもどる 週刊朝日記事一覧

続きを読む

おすすめの記事おすすめの記事
関連記事関連記事

あわせて読みたい あわせて読みたい