大竹:四十数年経った今も、『青春の門』を書いていらっしゃる。すごいと思います。ただ最新刊の『新 青春の門』で「信介しゃん」はまだ20代ですよね。年を取らないのは、ちょっとずるいかも。

五木:たしかに(笑)。書き始めたころは現代小説のつもりだったけれど、今はもう時代小説ですから(笑)。でも昭和という時代をしっかり書き残しておきたい気持ちで続けてるんだけど。

大竹:書く意欲、気力はどうやって?

五木:うーん、どうなんだろうね。ひとつの仕事ができるときというのは、自分のがんばりだけじゃできないと思いません? 時代の風とか、読者の好奇心とか、こっちの体力とか。そういう六つも七つもある要素が、奇跡的にスパークしたときに仕事がはじまるんで。僕はそれを冗談に他力とか言ってるんですけど。舞台でも同じじゃないのかな。

大竹:でも他力があっても自力がないと、別にいいやってなってしまいません?

五木:むかし石原慎太郎さんと対談したときに、宮本武蔵の話になりましてね。彼が決闘に行く途中で神社の前を通りかかったというんです。で、手を合わせようとして、はたと気づいた。「そうやって神仏の力に依存するというのは、すでに負けたも同然。ここは自力だ」と。他に依存してはいけないと思い直して決闘に挑み、勝ったじゃないか、と。

大竹:なるほどなるほど。

五木:僕はそう言われて困ったけど、一応、抵抗してね。自力でなきゃダメだと気づかせたものこそ他力の声。その他力の声に動かされて、自力で闘って勝った。だから、他力は自力の母なんだと。石原さんは「またキミはそんなこと言って人を騙す」って笑っていましたけど(笑)。

大竹:私は本物のギリシャ神話と、ギリシャ神話を元にした近代演劇「喪服の似合うエレクトラ」の両方をやったときのことを思い出しました。同じストーリーなのに、神がいない時代が舞台になった「喪服の似合うエレクトラ」のほうが、演じていてすごく苦しかったんですよね。

五木:ほう。神々がいないときのほうが苦しい、と。

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