建設中の代々木競技場、代々木第一体育館。ワイヤロープによる「吊り屋根構造」は、世界中から注目を浴びた。日本を代表する建築家・丹下健三の設計 (c)朝日新聞社
建設中の代々木競技場、代々木第一体育館。ワイヤロープによる「吊り屋根構造」は、世界中から注目を浴びた。日本を代表する建築家・丹下健三の設計 (c)朝日新聞社

 今から55年前、1964年の東京五輪開催へ向けて日本、特に東京は急激に変貌を遂げた。

【写真特集】1964年の東京

 柱がなく曲線の屋根が画期的だった代々木競技場など、最先端の技術を駆使したスポーツ関連施設が次々と建設された。完成直後から「日本の高度成長の象徴」と国内外から称賛された代々木競技場は、安藤忠雄や隈研吾をはじめ、数多くの著名建築家に影響を与えた。

 住宅や緑地が見られた芝公園や西麻布などは道路が拡張され、高層ビルが埋め尽くすようになった。スポーツ文化評論家の玉木正之さんは「1964年より以前、日本人は戦前の姿を取り戻す努力をしていた。まだ平屋も多かった。これ以降に、デザインも高さも見たことのない建物ができていく。その様子をワクワクしながら見ていました。これからの50年はどうなるかな」。

 来年の五輪を迎えるにあたり、新国立競技場が完成するなど、東京はまた変わろうとしている。50年後、2020年の東京五輪のために造られた建造物は、何を象徴していたと語られるのだろうか。

(文/本誌・工藤早春)

週刊朝日  2019年10月11日号