作家というのは若き日に書いた作品を越えることができないと。負けが込んだボクサーの反転攻勢を描いた『咬ませ犬』がいいと言われることがあるのですが、結局、こういう初期の作品を、ついに越えられなかったんじゃないかなと思います。

――優美な演技で世界中を魅了したチェコの体操選手について書いた『ベラ・チャスラフスカ』も思い出深い。手紙のやりとりはできましたが、結局会うことはできなかった。

 1960年代後半、社会主義圏だったチェコ(旧チェコスロバキア)に「プラハの春」といわれる民主化運動が起きた。このとき、民主化運動を支えた「二千語宣言」というのがあり、ベラ・チャスラフスカはそれに署名していました。

――しかし、ソ連の軍事介入があり、傀儡政権ができると、署名をしたほとんどの人たちは、撤回していった。なのに、チャスラフスカは決して節を曲げなかった。

 どうなったかというと、64年の東京五輪に続き、68年のメキシコ五輪でも金メダルを獲得したヒロインだったのに職を追われ、細々と20年間過ごしていた。子どもが2人いて、離婚もし、経済的にも苦しい。署名さえ撤回すれば、国から厚遇を受けることができたのですが。

 手紙のやりとりで、二千語宣言を撤回しなかった理由を尋ねると、「節義のために」とありました。すぐれた通訳による古風な日本語ですが、正しいと思ったことを曲げない精神の人だった。

 2016年8月、チャスラフスカは、74歳で亡くなっています。実は、来年開催される東京五輪を機に、もう一度日本を訪れたいと言っていたので、楽しみにしていたんですけれども……。

 ソ連が崩壊し、多くの選手が米国やヨーロッパの国に移っていたこともあり、スポーツ誌の連載で始めた企画でしたが、それが終わっても、各地を旅しました。相当のお金をつぎ込んでも、これが全然売れなくてね。でも僕にとっては納得できるかの問題でね、阿呆になってやっていました。

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