帰国した僕は、「なかなかドナーが出ないので、もう少し待っていてください」と伝えました。本当のことを告げたら身も蓋もないでしょう。彼女の希望を奪ってしまうから、言葉を濁したんです。

 彼女は、故郷の病院に入り、32歳まで彼女なりに生きました。『空白の軌跡』から始まり、移植の問題は『ふたつの生命』と『甦る鼓動』でも追いましたが、彼女がいなかったらここまで書けなかった。託された日記が遺言のように思えましてね。

――約40年、作家生活をつづけてきた。取り上げた人物は当時の皇太子であり、オノ・ヨーコであり、長屋住まいで無二の仕事をする画家であり、多士済々。ただ、自身と共振する人を描く、ということは通底している。

 傾向としては、どこかで寄り道をしてしまう人に興味を持つなぁ。凹凸があるというか、ひだがあるというか。苦労した人のほうが、共感性を持てるからだと思います。僕も寄り道してきたからね(笑)。

『牙』という作品は、王や長嶋らがいたV9時代の巨人に、真っ向勝負を挑みつづけた江夏豊を描きました。

 彼とは1年くらい付き合ったかな。引退後に刑務所に入ったこともある人ですが、マウンドに立つ江夏はコントロールが素晴らしくて、ダーティーワークが嫌いだった。

 ライバルだった王に江夏との思い出話を聞いたとき、14年間戦ってきたけれども、デッドボールがなかった、と言うんです。江夏の私生活はハチャメチャだったけれども、きれいな勝負をする人だった。それは野球にすべてをかけた彼の本質だと思うんです。

 僕の書いているものはきれいごとだ、と言われることもある。ただ、描きたかったのは、大きいことがいいことだ、とされた高度成長時代、圧倒的な強者に、独り立ち向かった江夏です。闇の部分もいろいろと聞いてはいましたが、それは本筋ではありませんでした。

――数多くの作品を残してきたが、思い入れに濃淡はないのだろうか。

 むずかしいなぁ。沢木耕太郎さんと対談したときは、広島カープの黄金時代を支えた木庭教を書いた『スカウト』がいい、と言われたんですけども……。

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