土地を担保に融資する「土地本位制」は地価を高騰させた。企業は土地の値上がり益をもとに、事業を拡大させた。だが、いったん歯車が逆回転し出すと地価は暴落。銀行の経営は急速に悪化した。

「『銀行の中の銀行』といわれ大蔵省とともに渋沢資本主義を支えた日本興業銀行(現在のみずほ銀行)も、大きな痛手を被りました。興銀は時代遅れになったシステムをバブルの前に見直し、日本型の投資銀行に生まれ変わっておくべきでした。でも、金融機関の頂点に君臨していたプライドもあり、改革できなかった。大蔵省の銀行局も、『局益』を優先して改革に後ろ向きだった。最終的には第一勧業銀行と富士銀行との経営統合で、興銀という名前はなくなってしまいました」

 永野さんはこれからの経済の先行きには、危うさも感じている。グローバル化が進み、タックスヘイブン(租税回避地)にお金が流れ、国家は税金をとれなくなっている。富は一部の資産家に集中し、格差が広がる。
「資本主義には富の配分をどうするかという問題があります。いまの格差は限界を超えたと思っています。私も年金生活になり、社会の不公正さに敏感になりました。自分の生きた時代を、そうした目線で見直していきたい」

 平成の時代を通じて日本経済は長く苦しんだが、新しいシステムが動き出すのに必要な時間だったという。
「株式市場の用語で『日柄整理』という言葉があります。上げ相場の反動を、時間をかけてゆっくり吸収していくことです。明治時代から100年以上続いたこれまでの渋沢資本主義を、新しい渋沢資本主義へと転換していくためには、どうしても時間がかかる。平成の約30年間は必ずしも“失われた時代”ではなく、新しいシステムのための壮大な日柄整理の期間でした。過渡期を経て令和になったいまこそ、失われた時代に区切りをつけないといけません」

 令和の時代は少子高齢化が進み、2035年には3人に1人が65歳以上になる。労働者は減り、取り組むべき課題は多い。
「女性にもっと活躍してもらい、人口が減る中でも経済がうまくまわるシステムにしないといけません。高度成長は無理ですが、適度なインフレも必要です。ただし、いまの政権は従来以上に経済のエンジンを吹かして成長率を高めようとしています。アベノミクスの必要性は認めますが、危険な政策でもある。バブルはいったん膨らむと、最終局面では制御不能になります。バブルの教訓に謙虚に耳を傾けることが必要です」

「バブル経済事件の深層」の奥山さんは、事件記者として金融機関の破綻を取材した。バブル崩壊の処理を長引かせたことが最大の失敗だと感じている。

「昭和の末期、1980年代後半に日本では資産バブルが異常に膨らんでしまいました。そのことよりさらに大きな問題だったのは、バブルの崩壊のさせ方に失敗したことです。バブルをうまくしぼませることができれば、『失われた20年』とか『失われた30年』とか『第二の敗戦』とか呼ばれるようなことにまではならなかったと思います。バブルの最中に、いまがバブルだと認識して対応をとるのはとても難しいことだったでしょう。しかし、崩壊が始まった後に迅速に対応することは不可能ではなかったはずです。それに失敗し甚大な被害を招いたのはとても残念なことです。将来への教訓です」

 対応の遅れは金融システムへの不信感につながった。バブル崩壊の過程では、いくつもの金融機関で、解約を求める預金者が列をつくる取り付け騒ぎが起きた。

次のページ
検察の捜査が遅れたことも反省点