「定年後も、会社勤めしていた頃の肩書を振り回し、昔の役職入りの名刺を配ったりするのは、みじめとしか言いようがないです。生きているのは“過去”ではなく“いま”なのですから、過去の栄光をいつまでも振りかざしても仕方がないでしょう。人生は自分で新たに展開していくものです。もっと目を前に向けて生きないと」

 下重さん自身、人生の形は自分で変えてきた。NHKは30代のうちに退局。そして民放キャスターを経て念願の文筆活動に入り、エッセー、ノンフィクションをコツコツと書き続けていまに至る。

「ブレずに自分のフィールドを守り続けていくことも、生きていく上では大事なことですよ。“自分がやりたいことはこれ”と決めたら、他人が振り向いてくれようがくれまいが、ひたすら続けることです。そして実績が積み上がってくれば、必ずおのずと新しい道が開けていきますから」

 そして趣味としてやりたいことも、我慢しないこと。

下重さん、実は40代の頃にバレエを始め、周囲に驚かれたことがある。

「周囲の人に『どうしたの?』『みっともなくない?』とさんざん言われましたよ(笑)。その頃は、私の年齢から始める人はほとんどいませんでしたから。でも私にとってバレエは音楽であるし、クラシックは大好きだったので、どうしてもやりたかったのです。仕事ばかりだと、体をきちんと動かすことなんてまずありませんからね」

 結局バレエは12年続けたという。

「高齢になっても『やりたい』と思うことがあるのであれば、チャレンジすべきだと思います。一緒に教室に通ってくれる仲間がいなくてもいいじゃないですか。やりたいことをやらないことのほうが、もったいないと思います」

 下重さんはベタベタした人づきあいもしない。ある程度の年齢になれば誰だって、人に踏み入ってほしくないゾーンはあるもの。それがわかっているからこそ、人間関係は“さらり”を通しているのだ。

「そして大勢の人と仲良くする、なんてこともしません。来るものは拒まず、去るものは追わずでいいんです。たくさんのものを持っているから暮らしが豊かかというと、決してそうではないでしょう? それと同じで、たくさんの知り合いがいるから人生が豊かということには、決してならないと思います」

 余分なしがらみを持たず、余分なものを持たず。下重さんの孤独スタイルは、究極の終活ともいえるだろう。

「自由な“不良老年”として人生を謳歌してから、人生を終わりましょうよ。そのためには孤独を心の中で吟味できる人間にならないと、粋な不良になれないですよ(笑)」

 最後のひとことを決めて、下重さんは颯爽と去っていく。『極上の孤独』の著者は、“極上の不良”なのである。

「孤独上手になると人生の楽しみは倍増します」(下重さん)

(ライフジャーナリスト・赤根千鶴子)

※週刊朝日2019年5月3日‐10日合併号