もし、あのとき、別の選択をしていたなら──。著名人に人生の岐路に立ち返ってもらう「もう一つの自分史」。今回は俳優・小野武彦さんです。「大都会」や「踊る大捜査線」、「科捜研の女」などテレビドラマのイメージが強いかもしれませんが、実は舞台のキャリアは長く、今でもコンスタントに出演しています。映像と舞台は役者の両輪。名脇役の味わいの秘密に迫ります。
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実は、役者を辞めようと思ったことがあったんです。結婚して長女が生まれたあと、1974年ごろかな。簡単に言うと仕事がなくて「これは限界かな」と思った。
うちでボーッとしているわけにもいかないから、東京郊外の不動産屋に勤めることにした。「じゃあ、来月からいらっしゃい」ってことになったんです。
よし新天地でやるか!と部屋で身辺整理をしていたら、電話がリーンとなった。倉本聰さんからだった。「おう、久しぶり。何しているんだ」「いや、ブラブラしています」って。「そうか、ブラブラしているなら、なんか考えるよ」と。
数日後にまた電話がかかってきて「ショーケン(萩原健一さん)の板前ものと、哲(渡哲也さん)の刑事ものがあるけど、どっちがやりたい?」って。役者を廃業しようと思っていたけど(笑)、田中絹代さんとはラストチャンスかな、と思って「じゃあ、ショーケンさんのほうで」と。
3日後に電話がかかってきて倉本さんが「ごめんごめん」って言われた。どちらもダメだったのか……と思うじゃないですか。そしたら「あのさ、哲のほうじゃダメ?」って。それが「大都会」です。だから倉本さんは恩人です。
当時「大都会」はみんなが見ていましたからね。駅で隠れてたばこを吸っていた高校生が、僕の顔を見て慌てて消す、なんて感じだった。
――俳優の道に進んだのは、映画への憧れからだった。1942年、東京生まれ。家の近くに映画館や日活の撮影所があるという環境で育った。
ミーハーな中学生がカッコいい石原裕次郎さんに憧れました。当時は3本立てが多かったから、小津安二郎さんや黒澤明さんの映画も一緒に観ることができた。子どもながらに小津さんの映画には心引かれるものがありましたね。笠智衆さんを見ながら「あんなふうに大人になったら会社が終わったあと友達と待ち合わせて、一杯飲んでみたいなあ」なんて思っていました。