“織田”はベンチャーでブラック、“毛利”は楽 戦国時代の組織論 (1/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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“織田”はベンチャーでブラック、“毛利”は楽 戦国時代の組織論

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週刊朝日#歴史
<左>千田嘉博(せんだ・よしひろ)/1963年、愛知県生まれ。城郭考古学者。奈良大学教授。2015年、濱田青陵賞受賞。16年NHK大河ドラマ「真田丸」では真田丸城郭考証を務めた。著書に『織豊系城郭の形成』(東京大学出版会)ほか多数。 <右>磯田道史(いそだ・みちふみ)/1970年、岡山県生まれ。歴史家。慶応義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。国際日本文化研究センター准教授。『武士の家計簿』(新潮ドキュメント賞受賞、新潮新書)など、著書多数(撮影/高橋章夫)

<左>千田嘉博(せんだ・よしひろ)/1963年、愛知県生まれ。城郭考古学者。奈良大学教授。2015年、濱田青陵賞受賞。16年NHK大河ドラマ「真田丸」では真田丸城郭考証を務めた。著書に『織豊系城郭の形成』(東京大学出版会)ほか多数。 <右>磯田道史(いそだ・みちふみ)/1970年、岡山県生まれ。歴史家。慶応義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。国際日本文化研究センター准教授。『武士の家計簿』(新潮ドキュメント賞受賞、新潮新書)など、著書多数(撮影/高橋章夫)

磯田道史さん(左)と千田嘉博さん(右) (撮影/高橋章夫)

磯田道史さん(左)と千田嘉博さん(右) (撮影/高橋章夫)

 次の時代を読み解く力がつく雑誌「歴史道」が、12月6日に全国発売される。記念して、1号では磯田道史先生と千田嘉博先生の対談が実現。過去の失敗を繰り返さないためにも、史実から学べ、生き方に生かせるヒントを、2人に聞いた。

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*  *  *
磯田:戦国大名の強さや存続事情を考える時、その経済力を考えることも重要です。上杉は佐渡金山を所有していましたし、世の中で思われている以上に、経済政策に優れていました。直江津も中世から立派な港でした。江戸時代、一国で最も人口が多いのは越後で、今の人口と同じ200万人がいました。武田には甲州金がありましたが、山国だったので限界があり、それほど豊かではありませんでした。今川が治めていた駿河は石高にして20万石未満。小さい。浜松(遠江)は30万石ほどですが、完全に支配できていたわけではない。信長の桶狭間の勝利を印象付けるため、今川がいかに大国だったかが喧伝されますが、実情はどうだったでしょう。今川本陣を本気で守ろうとしたのは数千のお膝元軍勢しかいないから、「桶狭間の戦い」で少数精鋭の信長軍に敗れる現象が起きた。主従の強固な結びつきがない、旧体制の大名の限界でしょうね。

千田:尼子も中国地方をほぼ統一しましたが、先に触れたように家臣の気持ちがついていかなかったですね。その点、毛利元就は家臣に対して用心深く、信用しきっていなかったですね。

磯田:「毛利の高陣」といわれるように毛利が山にばかり陣を張っていたのも、そのためです。平地で野戦が始まれば、戦意のない家臣は逃げてしまうから迂闊に山から下ろせない。古風な戦国大名はつらいよ(笑)。

──家臣に信頼される大名というのは、どういう人物でしょうか?

千田:土地が広がっても、いざという時に助けに来てくれる大将でしょうね。北条の場合には、支城網があって、近隣から救援できるシステムがありました。

磯田:武田勝頼が家臣に次々と裏切られたのも高天神城を救援できなかったことが大きい。頼りにならないと思われると大名はダメですね。大体、直線で200キロを超えると戦国大名は救助活動の限界を見ます。上杉が春日山から救援可能なのは南は筑波山の麓まで。西は金沢付近が限界です。武田は美濃の岩村城、長篠あたりが限度でした。


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