美川憲一が再ブレークした理由「本心と逆のことを言って…」 (1/5) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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美川憲一が再ブレークした理由「本心と逆のことを言って…」

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中村千晶週刊朝日

美川憲一(みかわ・けんいち)/1946年、長野県出身。高校を中退し、東宝芸能学校に入学。65年に歌手デビューし、66年に「柳ケ瀬ブルース」、72年に「さそり座の女」と次々にヒット曲を生み出す。最新アルバムに「ドラマチックシャンソン~生きる~」がある。12月23日に東京プリンスホテルで「クリスマスディナーショー」を開催。新曲「愛染橋を渡ります」は、2019年1月16日発売 (撮影/写真部・小原雄輝)

美川憲一(みかわ・けんいち)/1946年、長野県出身。高校を中退し、東宝芸能学校に入学。65年に歌手デビューし、66年に「柳ケ瀬ブルース」、72年に「さそり座の女」と次々にヒット曲を生み出す。最新アルバムに「ドラマチックシャンソン~生きる~」がある。12月23日に東京プリンスホテルで「クリスマスディナーショー」を開催。新曲「愛染橋を渡ります」は、2019年1月16日発売 (撮影/写真部・小原雄輝)

美川憲一 (撮影/写真部・小原雄輝)

美川憲一 (撮影/写真部・小原雄輝)

 もし、あのとき、別の選択をしていたなら──。人生に「if」はありませんが、ひょんなことから運命は回り出します。著名人に人生の岐路に立ち返ってもらう「もう一つの自分史」。今回は歌手の美川憲一さんです。人生は「もしも」の連続だったと振り返ります。そのはじまりは、出生にまつわる「もしも」でした。

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*  *  *
 私の人生は「もしも」だらけ。だって、人生が始まるところから「もしも」があった。もしかしたら、生まれていなかったかもしれないんです。

 本当なんですよ。私の父は妻子のいる人だった。でも、母はそれを知らなかったんです。

■「ビタミン剤だ」 母はピンときた

 美川には2人の母がいる。実母・以(い)し子(こ)と、母の姉で、のちに養母となる米子(よねこ)だ。2人は長野県諏訪市の大旅館に生まれ、美人姉妹と評判だった。だが両親の死後、旅館は経営破綻し、姉妹は追われるようにして東京へ。姉は東京で結婚し、母は父と出会った。

 母は背が高くてちょっと外国人風な顔立ちで、モダンだった。汽車のなかで父に声をかけられたそうです。後から考えれば「女房子どもがいるのによくもまあずうずうしい!」と思うけど、父はよっぽど母に惹かれたんでしょうね。プロポーズをして、結婚を前提に高級なアパートを借りて、母を住まわせた。

 そして母は私を身ごもったんです。でもそれを報告したとき、父は喜ばなかったんですって。母は「あれ?」って思ったらしい。そうしたらしばらくして、父が薬を持ってきた。父はいまで言う「ビタミン剤だ」と母に勧めたんです。「これを飲めば元気な赤ちゃんが生まれるから」って。

 それはピンク色のパラフィン紙に包まれていたという。

 それ、劇薬だったのよ。たぶんね。母はなにかピンときたんでしょうね。「あとで飲む」と言って、そのまま流しに薬を流した。父は何度も「飲んだか?」って念を押したんですって。

 でも、どんどん母のおなかが大きくなっていく。結局、父は逃げちゃったの。


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