AVがポルノ映画に勝った理由 名作を紐解く (2/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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AVがポルノ映画に勝った理由 名作を紐解く

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週刊朝日
加藤鷹さんはAV男優引退後もタレントとして活躍している=2014年、東京都内(c)朝日新聞社

加藤鷹さんはAV男優引退後もタレントとして活躍している=2014年、東京都内(c)朝日新聞社

「アダルトビデオの新人類」と言われた黒木香さん=1987年、東京都内(c)朝日新聞社

「アダルトビデオの新人類」と言われた黒木香さん=1987年、東京都内(c)朝日新聞社

国道沿いにはAVの自動販売機も現れた=1986年、埼玉県川越市(c)朝日新聞社

国道沿いにはAVの自動販売機も現れた=1986年、埼玉県川越市(c)朝日新聞社

 話を戻そう。そんな激動の時代に産声を上げたAVはドラマ的演出というよりも、ドキュメンタリー的演出を強調したジャンルとしてスタートした。出演する女性らに求められるのは演技ではない。前出の藤木さんに言わせると、「本気の反応」「素の反応」といった感情・身体表現だという。まさにリアリズムそのものである。

 要するにリアルな「刺激」という点で、ポルノ映画はAVに負けたともいえる。当時は「動くビニ本(ビニール本)」というキャッチフレーズで宣伝されたAV。言うまでもなく、製作業者たちは商品を合法的に流通させるために性器や性交シーンにモザイク処理などの修整を施した。

 もちろん、AVがもてはやされた背景には、家庭用ビデオデッキの普及もあった。経済企画庁(現在は内閣府)によると、その普及率は昭和58年には10人に1人だったのに対し、60年には4人に1人、62年には2人に1人と、急速に広がっている。ポルノは自宅でひそかに楽しむものとなり、映画館まで足を運んで見る時代ではなくなったのである。

 業界を牽引したのがAVメーカー「宇宙企画」。会社を立ち上げた昭和56年当時は苦労したというが、人気アイドルにそっくりの水沢聖子という女性が出演したことがスポーツ紙に取り上げられ、月数十万円だった売り上げが一気に9千万円近くになったという。

 製作費が1本80万円くらいだったというから、本当にもうかったのだろう。社員総出で徹夜して、ビデオをビニールパックに包装したそうである。視聴者は甘美な妄想をたくましくして映像を食い入るように見つめた。

 そしてついに、クリスタル映像から、あの村西とおる監督が登場するのである。「ナイスですね~」「ファンタスティックですね~」などという名ゼリフ(言葉責めといった方が適切かも)を覚えておられる読者も多いだろう。名声を決定的にしたのが昭和61年に発売された「SMぽいの好き」。出演したのはわき毛を大胆に露出した黒木香。横浜国立大学生という触れ込みで、タレントとしても人気を集めた。多くの知識人とも対談し、マスコミの注目を浴びた。

 さて映画製作の現場は超過激な表現にあふれた。阿鼻叫喚の世界と言っていいかもしれない。「駅弁」「顔面発射」などという言葉も生まれた。


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