「まだ死ねない」と懸命に 評判ドラマの脚本家が裏話

週刊朝日#ドラマ
 もし、あのとき、別の選択をしていたなら──。ひょんなことから運命は回り出します。人生に「if」はありませんが、誰しも実はやりたかったこと、やり残したこと、できたはずのことがあるのではないでしょうか。昭和から平成と激動の時代を切り開いてきた著名人に、人生の岐路に立ち返ってもらい、「もう一つの自分史」を語ってもらいます。今回は脚本家・演出家・愛煙家のジェームス三木さんです。

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 僕の本名は山下清泉です。「ジェームス三木」は歌手時代につけられた芸名です。歌手をしていたのは、20歳から30歳過ぎまで12、13年間ぐらいかな。テイチクレコードの新人歌手コンクールに合格して、専属歌手になりました。200倍ぐらいの倍率だったと聞いています。残念ながらあまり売れませんでしたが。

 もっと早くから脚本の道に進めばよかったんじゃないかという人もいますが、20代ではロクなものは書けなかったでしょう。回り道をしたから、どうにかものになった。その経験も、自分の人生にとって大きな意味があったと思っています。

 脚本家になってからもジェームス三木という名前を使い続けているのは、お世話になった人たちに「あいつ元気でやってるんだな」と知ってほしいから。歌手だった自分も、ずっと大切にしたい「もう一つの自分」です。

――生まれたのは旧満州の奉天(瀋陽)。10歳のときに終戦を迎え、幼い弟をおぶって引き揚げてきた。

 戦時中はいっぱしの軍国少年でした。でも、天皇陛下の玉音放送があって、それまでの価値観や常識が百八十度ひっくり返った。先生が言っていたことも新聞に書いてあったことも、全部うそだったわけです。天皇陛下も神様じゃなくて人間でした。
 人は平気でうそをつく生き物だ、つくづくそう思いました。

 そういう根底にある人間不信が、僕の脚本家としてのベースにあるように思います。向田邦子さんは、「脚本家に必要な資質はうそつきであること」と言いました。うそを書いて、それをお金に換える。言ってみれば詐欺師と同じですね。

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