陛下自ら慰霊に言及 終戦で終わらない苦悩に寄り添う「皇室外交」 (2/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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陛下自ら慰霊に言及 終戦で終わらない苦悩に寄り添う「皇室外交」

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永井貴子週刊朝日#皇室
フィリピン・カリラヤで比島戦没者の碑に供花する両陛下 (c)朝日新聞社

フィリピン・カリラヤで比島戦没者の碑に供花する両陛下 (c)朝日新聞社

日本政府に謝罪と補償を訴える元慰安婦を支援する団体 (c)朝日新聞社

日本政府に謝罪と補償を訴える元慰安婦を支援する団体 (c)朝日新聞社

ベトナム・ハノイで元残留日本兵の家族と言葉を交わす両陛下 (c)朝日新聞社

ベトナム・ハノイで元残留日本兵の家族と言葉を交わす両陛下 (c)朝日新聞社

 そう言葉を継いだ。

「多くの日本人は南京事件を知っている。しかし、マニラ市街戦で10万人を超えるフィリピンの人びとが犠牲になったことはほとんど知られていません」(同)

 両陛下はそこに踏み込んだ。フィリピンの国と人びとの好意に甘え、日本がもたらした過去の歴史を忘れてはいけない──。

 庄司氏は両陛下の覚悟をそう受け取った。マニラ南部には、犠牲になったフィリピンの人たちを悼む無名戦士の墓がある。両陛下は無名戦士の墓を訪れ、慰霊することを強く望んだという。

 現地では恩讐(おんしゅう)を超えた再会があった。元上院議員だったエルピディオ・キリノ氏は45年2月のマニラ市街戦の銃撃戦の最中、自宅から避難する途中で妻と3人の子どもの命を奪われた。2歳の娘は日本軍に銃剣で殺されたという証言もある。キリノ氏は幼い娘の遺体を自ら埋葬した。48年に大統領となったキリノ氏は、53年7月、「隣国となる運命の日本に憎悪の念を残さないために」と言って、死刑囚56人を含む日本人の戦犯100人超を特赦した。

「フィリピン国内では日本人に対する憎しみが燻(くすぶ)っていた。キリノ大統領は次の大統領選で落選。その後は病に伏し、亡くなっています」(同)

 昭和の時代。明仁皇太子と美智子妃がフィリピンを訪問したのは1962年。戦争の傷痕が生々しく残る過渡期であったが、フィリピン国民は、若い皇太子夫妻を歓迎した。お二人はフィリピンの歴史を学び、犠牲者の遺族に会って言葉を交わした。そして2度目のフィリピン訪問。滞在3日目の1月28日、日本大使主催のレセプションにキリノ元大統領の孫娘ルビーさんが招かれた。天皇陛下はルビーさんにこう話した。

「キリノ大統領が恩赦を与えてくださったことは忘れません」

 そして2017年。両陛下はベトナムを訪問したが、19年中の退位に向け、最後の外国訪問となる可能性もあった。

 05年から12年まで宮内庁長官を務めた羽毛田信吾氏が振り返る。


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