山根会長によると、清水選手の銅メダルで改めて政治力が必要と痛感し、村田選手の決勝戦でセコンドを息子に入れ替えたという。

「村田の試合を思い返してや。3ラウンド、終了のゴングが鳴る何秒か前にホールディングの反則が相手選手にあって、村田に2ポイント加点で逆転や。それが、アマチュアボクシングであり、カリスマ山根、山根の顔なんや。ワシが金メダル、銅メダルの歴史を影で作ったんや」

 山根会長は村田選手から引退勧告を受けたことについては語気を強めた。

「村田、生意気やな。どういうつもりで書いているんや。金メダルをとった後、大手スポーツメーカーに一緒に挨拶に行くと、みんなの前で『僕以外にこの金メダル、首にかけるのは会長が始めてです。会長のおかげで金メダル、とれました』と金メダル、かけてくれた。ワシは泣いたよ。それが手のひら返したように、この態度。村田がプロに行くときにも、ワシが妨害したように報じられている。けど、もとは村田がわざわざ『プロに行きたいのでお願いします』とこっそりワシに言ってきた。『村田君、頑張りや』とワシはその後、連絡を待っていた」

 山根会長によると、その後、村田選手から連絡はなく、いきなり村田プロ転向とスポーツ紙などで報道されたという。

「ワシに報告もなしにやっとったんでカチンときたんや。それでも最後はプロに送り出したよ。その後、大阪に村田は何回もやってきては、ワシといっぱい飲んでるよ。女好きなんか、嫁さんと違う彼女を連れてきたこともあって、ムッとしたが、若い連中はしゃあないなとワシはなんも言わなかった。それを、辞めろとはどういうつもりなんや、村田は。気分ようないわな、あんなこと書かれて」

「告発状」が明らかになってから、山根会長はしばらく沈黙していたが、8月3日からマスコミに積極的に出て主張をはじめた。山根会長はその理由をこう明かした。

「ちょうど病院大腸がんの検診で入院。8個のポリープ切除をした。なぜ、ワシ自身が立ち上がろうとしたのかというと、昔から知る元暴力団組長が連盟の理事に『山根に言っとけ。3日以内に会長をやめろと』『辞めなかったら、過去をすべてばらすぞ』と脅迫してきた。もう、ワシが受けて立つしかないと決めたんや」

 ということは、五輪競技で国などから助成もある日本ボクシング連盟のトップが暴力団と関係していたということなのか。

 山根会長が脅されたという、暴力団組長だったM氏(2007年に引退)は本誌にこう証言している。

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