土谷の顔は能面のようだった (c)朝日新聞社
土谷の顔は能面のようだった (c)朝日新聞社
「愛人」知らずにいた麻原妻 (c)朝日新聞社
「愛人」知らずにいた麻原妻 (c)朝日新聞社

 オウム真理教の元教祖、麻原彰晃元死刑囚(本名・松本智津夫)ら7人の死刑が執行されてから1週間が過ぎたが、元死刑囚らに帰依する信者たちは多く、存在するという。かつてオウム捜査の中心を担い、当時、サリン製造の責任者だった土谷正実死刑囚、麻原彰晃の妻の取り調べなどを担当した元捜査1課理事官の大峯泰廣氏(70 )が明かす、彼らの素顔と真実とは──。

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1995年3月の地下鉄サリン事件など計13事件で麻原元死刑囚の他、土谷(53)、遠藤誠一(58)、新実智光(54)、井上嘉浩(48)中川智正(55)、早川紀代秀(68)の6人の死刑が執行され、取調べでの様々な思い出が蘇った。

 捜査員人生の中で一番印象に残ったのは、やはり無差別テロの地下鉄サリン事件だ。1995年3月20日、地下鉄サリン事件が発生した時、私は捜査1課4係係長で、前年に井の頭公園で発生した切断遺体事件の現場に行っていた。

 午前9時前に「全員招集」がかかって何事だろうと本部(警視庁)に引き返したら、地下鉄霞ケ関駅周辺は大混乱していた。時間が経つにつれて、まかれた猛毒がサリンとわかってきて、オウムじゃないかとなった。当時、松本サリン事件はオウムの仕業だろうとわれわれは目星をつけていたからね。

〈警視庁などは事件翌々日、すぐにオウム教団総本部、山梨県上九一色村(現・富士河口湖町)の関連施設などを一斉捜索した。大峯氏もこの捜索に参加、自衛隊の防護服に身を包み、ガスマスクをつけ、第7サティアンに踏み込んだ。しかし、事件にかかわったとされた幹部らはすでに逃走。教団施設内からほとんどの機材、書類などが持ち出され、もぬけの殻だったという〉

 地下鉄サリン事件の1週間前の日曜日、捜査1課200人全員が自衛隊の朝霞駐屯地に集められ、ガスマスクの脱着訓練を極秘で行った。なぜ、こんな訓練をするのか、私はよくわからなかったが、寺尾正大捜査1課長(当時)ら幹部はオウムの捜索をすると決め、オウムがサリンをまき、反撃してくる時に備えた。しかし、オウム側へ捜索が近いという情報が洩(も)れ、先手を打たれてしまった。

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そして、捜索から8日後に……