17番目の水野昇さんVX襲撃事件だけは、

「(教団自治省大臣の)新実智光にY・Aを使うように言ったのは認める。傷害として認定してほしい」

 と関与を認めた。

 その後は3度の被告人質問でも沈黙を続けた。

 第一審は初公判から7年10カ月、257回の公判の末に死刑を宣告。第二審の弁護団は「被告に訴訟能力がない」として公判停止を求め、控訴趣意書の提出を拒否したが、東京高裁は訴訟能力を認めて控訴を棄却。特別抗告も棄却され、控訴審が開かれないまま06年9月に死刑が確定した。

 11年11月に最高裁が遠藤誠一死刑囚の上告を棄却したことで、オウム裁判は一度は集結した。だが、特別指名手配されていた平田信被告の出頭や、菊地直子、高橋克也両容疑者の逮捕で事件は再び動き出した。

■勘違いの果て

 教団が大きくなるにつれて、麻原は電話魔になった。携帯電話が普及していなかったため、自室ではいつも、固定電話を抱えるようにして座っていたという。

 多くの電話番号を暗記し、絶え間なく手探りでプッシュボタンを押した。主な幹部や目をかけた信徒には自分の番号を教え、報告や密告、相談を受けた。自らの地位が転覆することを、常に恐れた。

 地下鉄サリン事件後に脱会した元信徒は、ある幹部から「尊師がふと口にした」と聞かされた言葉が忘れられない。

「一生、聖者のふりをすれば、聖者なんだ」

 麻原のあの巨躯は、ウソで塗り固められていた。

 少年時代に端を発する歪んだ個性。信徒に「解脱」の意義を説きながら、自分はその個性から脱することはなかった。そしてかかわった人すべてを、不幸のどん底にたたき落とした。

 その男はいま、東京拘置所の独房で、車いすを使って過ごしているという。(年齢肩書などは当時)

※週刊朝日 緊急臨時増刊「オウム全記録」(2012年7月15日号)から抜粋