27歳ですでに詐欺師… 麻原彰晃はどうやって出来上がったのか?<麻原彰晃の真実(1)> (1/4) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

27歳ですでに詐欺師… 麻原彰晃はどうやって出来上がったのか?<麻原彰晃の真実(1)>

このエントリーをはてなブックマークに追加

地下鉄サリン事件発生直後の日比谷線築地駅付近 (c)朝日新聞社

地下鉄サリン事件発生直後の日比谷線築地駅付近 (c)朝日新聞社

オウム真理教代表・麻原彰晃(松本智津夫)と教団「諜報省」トップの井上嘉浩(右)=オウム真理教機関誌「マハーヤーナ」から

オウム真理教代表・麻原彰晃(松本智津夫)と教団「諜報省」トップの井上嘉浩(右)=オウム真理教機関誌「マハーヤーナ」から

 6日、法務省が発表した、オウム真理教元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚ら7人の教団元幹部の死刑執行。多くの謎を残したままの死刑執行に、様々な声が挙がっている。麻原彰晃とはどんな人物だったのか? 6千人を超す死傷者を出した地下鉄サリン事件から17年となった2012年。最後の特別手配犯3人の逃亡生活にピリオドが打たれた年に発売された『週刊朝日 緊急臨時増刊「オウム全記録」』で徹底的に取材した麻原像を、特別に公開する。日本中を、いや世界を震撼させたオウム事件とは何だったのか。「尊師」と呼ばれた男の半生と、テロにつながった「狂気」の全貌を、全3回で明らかにする。

【麻原彰晃と教団「諜報省」トップの井上嘉浩】

*  *  *
「私の生い立ちは不幸だった。泣いてばかりいた」

「尊師」と呼ばれた男はかつて、オウム真理教幹部の一人にこう漏らした。地下鉄にサリンをまき、拉致や殺人を繰り返す「狂気の物語」は、そんな男の少年時代の苦悩から幕を開ける。

■狂気の芽

 日本の三大急流のひとつ、球磨(くま)川が八代海に注ぐ熊本県八代市高植本町(たかうえほんまち)。オウム真理教の教祖、麻原彰晃(あさはらしょうこう)こと松本智津夫死刑囚(以下、麻原)の実家は、藺草(いぐさ)畑の緑が広がるこの町にあった。地下鉄サリン事件の翌年に母が76歳で亡くなり、97年にはここで鍼灸院を営んでいた長兄が53歳で死去。畳職人だった父は「もうここにはおられん」と、間もなく町を去った。その父も08年、92歳で逝った。長兄が建て直した実家は解体され、いまは更地になっている。

 1955年3月2日、麻原は生まれた。一家は両親と男5人、女2人の7人きょうだい。下から2番目にあたる四男として育った。ほかに姉と弟が1人ずついたが、ともに1歳でこの世を去っている。

 11歳年上の長兄は全盲で、熊本市内にある県立盲学校で寄宿舎生活をしていた。麻原も先天性緑内障で左目は見えなかったが、右目は弱視ながらも見えたため、自宅近くの小学校へ進んだ。



トップにもどる 週刊朝日記事一覧

関連記事関連記事

このエントリーをはてなブックマークに追加
あわせて読みたい あわせて読みたい