ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「西城秀樹さん」を取り上げる。
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アイドル歌手について想いを馳せたり考えたりする時、私が指針にしているのは80年代のアイドルたちです。音楽・テレビ業界と経済やテクノロジーのバランスが絶頂期だった時代。確かに彼らは今のアイドル歌手とは比べ物にならないほど疾走感に溢れ、ギラギラしていました。それをリアルタイムで観て聴いて感じられたことは、私の絶対的な誇りであり、漠然とした強みです。しかし、ひとつ前の時代(70年代)にはどう足掻いても敵わないことも知っています。白黒だったテレビがカラーになり、画面の中で舞い踊る衣装や紙テープにも色が付き、いよいよアイドルに真の命が宿った瞬間です。
そんな時代の爆発力と躍動感の象徴と言えば、やはり西城秀樹さんではないでしょうか。私(75年生まれ)にも辛うじて70年代の記憶があります。女子たちの黄色い声にまみれる郷ひろみさん、甘い高音で歌い上げる野口五郎さん、ひたすら危なげな夜の匂いを漂わせるジュリーなど、すでにブラウン管の中では錚々たる男性アイドルたちがそれぞれの色彩を放つ中、ヒデキは私にとって最初の『ヒーロー』でした。自分の本質とは真逆の、快活で社交的な男子性の塊みたいなヒデキに対し、それでも無抵抗に心躍ることができたのは、やはりその歌声と健やかな大衆性が圧倒的だったからにほかなりません。
激しい振り付きで歌うスタイルを確立し、「音楽は観るもの」という新しい概念を一気に加速させたのはヒデキだと言われています。『夜のヒットスタジオ』や『ザ・ベストテン』、『サウンド・イン“S”』など、歌番組の視覚的要素がどんどん高まり、ピンク・レディーのようなスターも次々と誕生しました。やがてそれらが定着・成熟し、あの小柳ルミ子さん(カラーテレビ時代アイドルの元祖であり清純派の代表格)までもが巨大な羽根を背負いハイレグで歌い踊るようになっていった80年代。その原点であるヒデキが主役だった70年代のテレビ番組が醸す高揚感は、改めて大人になって見返してみても別格です。リンゴの家から飛び出てくる『バーモントカレー』のCMも、ドラマ『寺内貫太郎一家』での親子乱闘シーンも然り。縦・横・斜めといった立体的なカメラワークは、ヒデキの存在とともに進化していったと言っても過言ではないでしょう。