「意見の違う人と話すことが深く考えることにつながる」

 仲間との連絡や協議、選挙の候補者選びなどはネットを使う。「ネットは同じ考えの仲間と絆を結ぶのには便利だが、意見が違う人とは目を合わせて語り合うことが必要です」

 座談会で議論を吹っかけてくる人がいるが、大歓迎だ。まず話を聞く。足らない点を指摘し、自分の考えを紹介する。押し付けず、穏やかに。メールアドレスを聞き、連絡を取り合う。

 フォイスさんは2年前、区会議員になった。報酬は月700ユーロ(約10万円)ほど。仕事を持ちながら区政に携わる。五つ星では区議も国会議員も対等。綱領や指示はない。自分がすることをメンバーに約束し実行する。指揮系統や規律で動く政党と異なる運動を、有権者はどう見ているのか。投票所で聞いた。

「政治的に未熟、頼りない」「イタリアをどの方向に導くのかわからず不安」

 そんな批判の一方で、「イタリアらしい緩やかで個性的な運動」「汚職体質でなく、親しみやすさを感じる」という声もあった。

 始まりは「お笑い芸人」の活動だった。

 テレビ番組で政治家をこき下ろしていたコメディアン、ベッペ・グリッロが番組から降ろされ、ドサ回りを始めた。地方公演や集会での政治批判が喝采を浴び、ブログもフォロワーが爆発的に増えた。企業家で政治運動家のジャンロベルト・カザレッジョと組み、五つ星運動を立ち上げたのが09年。地方選挙から始め、10年足らずで国政の中心に躍り出た。

「第三共和制の始まり」というディマイオの言葉を理解するには、イタリアの戦後を振り返る必要がある。

 第一共和制は、敗戦後に長期政権を築いたキリスト教民主党の時代。ソ連の崩壊で左翼が凋落すると、均衡が崩れて長期政権の膿が噴き出す。汚職が広がり、秘密結社やマフィアが政党とつながり、裁判官が買収され、検事は暗殺された。

 政治の混乱のなか、小党分立の第二共和制へ移る。離合集散する政党は目先の人気取りに走り、財政が悪化。元祖ポピュリストのベルルスコーニが首相となり、醜聞まみれの政治を冷笑する「シニシズム」が広がった。どん詰まりまで来た政治不信から生まれたのが、五つ星運動だった。

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