栄西は好きだった? 「長生きのための妙術」と言われた飲み物は…
連載「貝原益軒 養生訓」
西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。貝原益軒の『養生訓』を元に自身の“養生訓”を明かす。
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【貝原益軒 養生訓】(巻第四の54)
茶、上代はなし。中世もろこしよりわたる。
其後、玩賞(がんしょう)して日用かくべからざる物とす。
性冷にして気を下し、眠をさます。
養生訓では、それほど分量はないのですが、お茶についても語っています。まずは日本への伝来について、「お茶は上代にはなかったが、中世に中国からわたってきた。その後、人から愛され、日常に欠かせないものになった」(巻第四の54)と説明しています。
一般にお茶は最澄(767~822年)や空海(774~835年)など留学僧が唐から種子を持ち帰ったとされていますから、「中世に中国からわたってきた」というのは、おかしなように感じます。しかし、日本史の中世を鎌倉幕府成立(12世紀末)から室町幕府の滅亡(1573年)までと言い出したのは明治以降ですから、益軒のいう中世はもっと広い範囲なのかもしれません。
養生訓ではお茶の効用について、どちらかというと否定的です。
「お茶は性が冷であって気を下し、眠りをさます」(同)と説いたうえで、「陳蔵器(ちんぞうき・唐代の医者で『本草拾遺』をまとめた)は、長く飲むとやせてあぶらをもらすといった。母(ぼ)ケイ、蘇東坡(そとうば・北宋の詩人)、李時珍(りじちん・明代に『本草綱目』を著して、本草〈薬用植物〉学を集大成した)などもお茶の性はよくないといっている。ところが、今の世では朝から晩まで毎日お茶を飲む人が多い。飲むことが習慣になると、体をこわさないものなのだろうか」(同)といった具合に疑問を語っています。
さらに「気を冷やすものであるから一時にたくさん飲んではいけない」(同)とか「弱い人、病人は今年できた新茶を飲んではいけない。眼病、上気、下血、下痢などの病を起こす心配がある」(同)という注意もしています。
