続いて、組事務所撤去運動が起こります。地域と共生してきたヤクザが異物として忌み嫌われ始めたのです。昔は不良少年グループを地元ヤクザが“ケツモチ”して地域との共生の作法を教えましたが、ヤクザとの関係が薄れて「糸の切れた凧」のような少年集団犯罪の暴走が始まります。綾瀬コンクリート詰め事件はその結果でした。

 他方、「東京・埼玉連続少女誘拐殺人事件」の方は動機不可解な単独凶悪犯罪の出発点です。以降、「酒鬼薔薇事件」に象徴されるような動機不可解な単独凶悪犯罪が、平成を通じて社会を揺るがすことになります。

■エリートがこんなはずじゃなかった感からカルトへ

 平成7年(95年)3月、オウム真理教の信者らによる「地下鉄サリン事件」が起きます。逮捕された教団幹部が医者や大学院生だった事実が衝撃でした。エリートのカルト犯罪も平成を象徴します。努力したのに自分はさして輝かず、人々も気にかけてくれない。高度成長期に生まれ育った世代の「こんなはずじゃなかった感」が背景にありました。

 出発点は、80年代に「アウェアネス・トレーニング」(問題解決マネジメント)のブームでした。「人格改造セミナー」とも呼ばれます。自己像を支える無意識の言語プログラムを書き換える訓練のこと。70年代前半、ベトナム戦争の帰還兵が社会復帰に失敗して凶悪犯になるケースが続出したことに対処するためのセッションがルーツでした。

 それが70年代後半にエグゼクティブ向けに展開する。競争を勝ち抜くには意志の力が強調されますが、意志はくじけがちなので、意志で抑え込んできた欲望の側を書き換えます。セッションを工夫すると「神の声」が聴こえたり「体が燃える」のを体験できたりします。免疫がない人は実際に起こったことだと思い込む。「神通力を使える教祖」の誕生です。

 オウム真理教の事件の後、カルトを生み出す強力なアウェアネス・トレーニングは鳴りを潜めましたが、コーチングや自己啓発の名で今も生き残っています。自分が前向きになれないのは、自分の心に問題があるからだ」という「心理学化」も平成の特徴です。そこでは、社会に問題があって前向きになれない可能性が覆い隠されるのです。

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