林:脚本は森下佳子さんで、今、「おんな城主 直虎」を書いてる実力派の方ですね。

池坊:まじめなテーマを森下さんが鋭い感性で料理されて、セリフや表現はコミカルなところもあるので、ところどころで笑っていただけたら。映画の最初と最後は、専好が石を積んで亡くなった方に花を手向けるのですが、ああいう場面に生け花の原点、本質が出ているなと思います。

林:出演者はすごく豪華ですね。野村萬斎さん、市川猿之助さん、佐藤浩市さん、中井貴一さん……。

池坊:ねえ。本当にすごい(笑)。

林:池坊さんのリクエストですか。

池坊:いえいえ、篠原(哲雄)監督、小滝(祥平)プロデューサーと東映さんのお力で、こちらは何も言ってないです。映画化に関しては全面的におまかせしました。生け花の作品協力はしましたけれども。

林:今、池坊さんは全国で門人の方は何人いらっしゃるんですか。

池坊:支部は日本で約400、海外で約100あります。

林:池坊が全国的に大きくなったのは江戸時代ですか。

池坊:そうですね。江戸のころに門弟さんが薩摩や琉球まで広がったということが、『永代門弟帳』に書いてあります。

林:薩摩のお侍がお花をやってたんですか。

池坊:けっこう武将が華道をやってたんです。心を整えるとか修練のためにね。そして明治期になると、女子教育の中に生け花が取り入れられるようになるわけです。

林:昭和40年代から50年代は、企業が女子教育に力を入れて、お茶とお花の教室をやってましたよね。会社でお花をやって、それを紙に包んで持ち帰る若い女性をよく見ました。

池坊:あのころは生け花がいちばんよかった時代で、花嫁修業的な要素もあって、会社の福利厚生の一環で、皆さんがお花を生けて持って帰るのが一般的な風景でしたね。

林:女性のたしなみとして、お花は池坊、お茶は裏千家が常識でした。

池坊:当時に比べると、会社にもそんな余裕はありませんし、様変わりしました。今は、会社の帰りにお稽古ができて、何回やればこれぐらいのお免状がとれますよという、とてもわかりやすいシステムを導入してるんです。それに若い方がけっこう来てくださって。生け花人口そのものは減ったんですけど、やりたい人が自発的にやる形に変わってきたのかなと思います。

週刊朝日  2017年9月22日号