これまでデフレ脱却のための異次元の量的緩和によるハイパーインフレのリスクを指摘している“伝説のディーラー”藤巻健史氏。さらなる財政出動でデフレ脱却を目指す経済政策「シムズ理論」に異論を唱える。

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 テニス仲間のマキさんから先日こう言われた。「数年前、日本が財政破綻する(またはハイパーインフレになる)と言っていたのはフジマキさんを筆頭に世界で3人だけだったけど(ほんとかね~?)、今や主流派だね。だから、フジマキさんのその種の本はもう売れないよ。みんなわかっているもん」。別に本を売りたくて言っていたわけではない。警告したかっただけなんですけどね~(苦笑)。

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「異次元の量的緩和」を続けても、いつになっても消費者物価指数(CPI)上昇率2%が達成されない。積極的な金融緩和で緩やかな物価上昇を促す考えのリフレ派の人たちの旗色が悪い。

 そこで出始めたのが、財政出動論。金融政策が効かなかったから、今度は財政出動でいこうというのだ。

 5月6日付朝日新聞朝刊に「積極財政首相に進言次々」という記事があり、<安倍晋三首相の周辺では、景気刺激のため、国の借金を気にせず財政出動をするよう進言する動きが出つつある>と伝えている。世界に冠たる財政赤字なのに、赤字を大きくしようというから恐れ入る。そうすれば、いずれインフレが起きるという考え方だ。

 政府のブレーンで米イェール大名誉教授の浜田宏一氏が、ノーベル賞経済学者のクリストファー・シムズ米プリンストン大学教授の説を「目からウロコが落ちた」と持ち上げたことからにわかに脚光をあび始めたのだ。シムズ理論という。

 私が「異次元の量的緩和」というルビコン川(=一度渡ったら戻れない)を渡った以上、ハイパーインフレは不可避だと考えていることは、読者の皆様はもうご存じだろう。

 デフレ脱却のための異次元の量的緩和は、「ジリ貧(=デフレ)を回避しようとしてドカ貧(=ハイパーインフレ)に陥る」からやってはいけない、と反対してきた。政策ミスの結果としてハイパーインフレが起きる、と歴史が教えてくれるからだ。ところが、一層の財政出動を唱える人は、私が「回避すべき」と考える結果を政策として意図的につくり出そうというのだからひどい話だ。究極の財政再建策ではあるものの、国民生活は地獄に堕ちる。

 
 この政策が間違っても採用されないよう、3月22日の参議院財政金融委員会で黒田東彦・日銀総裁に聞いた。総裁は「一定の条件で成立するひとつの視点」としつつ、「実証研究は十分でない」と指摘。シムズ教授が同理論を講演した昨年夏の米ジャクソンホールでの会合では「各国中央銀行総裁は納得したわけではなかったようだ」とも述べた。

 黒田総裁の政策に大いに疑問を抱いてきた私だが、この見解には敬意を表したい。シムズ理論の前提となる恒等式を見ると、財政赤字拡大(PB黒字幅の縮小)のほか、通貨発行益の赤字幅が大きくなれば、物価が上昇する。インフレが加速し始めた時、日銀がインフレを抑えようと当座預金への付利金利を上げれば(=通貨発行損を大きくすれば)、日銀の意図とは反対に物価が上昇する結論になる。シムズ理論を是とする人は「日銀はもうインフレを抑える手段がない」と宣言するようなものだ。

 シムズ理論はめちゃくちゃだ。金融を知らない人たちの雑音で、異次元の量的緩和を始めた時と同様にシムズ理論がまかり通れば、日本の未来は真っ暗。学者もきちんと反論すべきだ。

週刊朝日 2017年6月2日号

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藤巻健史

藤巻健史

藤巻健史(ふじまき・たけし)/1950年、東京都生まれ。モルガン銀行東京支店長などを務めた。主な著書に「吹けば飛ぶよな日本経済」(朝日新聞出版)、新著「日銀破綻」(幻冬舎)も発売中

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