妻:人脈を駆使し、一流の方々に協力していただきました。立川志の輔さんに落語をやってもらったり。亡くなった中村勘三郎さんにも来ていただきました。

夫:卒業して正劇団員になって、えりさんの芝居作りに衝撃を受けました。ギリギリまで良いものを作ることをあきらめない情熱が半端なかった。自分はやっぱりアマチュアだったなあと。若気の至りというか、不遜でしたね。でも、そのおかげで初めて、演劇というものを客観視できたように思います。

 小劇団っていうのは、芝居だけじゃなくて、何でも自分たちでやるんです。掃除や洗濯、小道具や衣装も自分たちの手で。みんなで作り上げていく一体感は本当の家族みたいです。

妻:その中でも、彼は抜きんでて才能があった。だから、演出助手をしてもらったり、付き人としていろんな現場を見学させたり。

夫:行く先々で有名人に会うから、舞い上がりっぱなしでした。飲みに連れてってもらっても、こっちは襟ぐりが伸びきったTシャツ姿で、慣れないワインをがぶ飲みして叱られたりして。

妻:彼の演技を見た他の劇団から、客演の要請もあったね。

夫:岩松了さんの「アイスクリームマン」という作品に出たときは、自分の劇団と勝手が違うし、己の甘さを思い知らされて。神経症気味になりました。

妻:やめて田舎へ帰りますって言うのを、東北沢の居酒屋で説得したのを覚えてる(笑)。

夫:あのとき、「お疲れさまでした」って言われてたら、今はないよね。

妻:まあ、結婚なんかしてないでしょうね。

夫:引き留められて、良かったんだか、悪かったんだか……(笑)。でも、そのぐらいギリギリまで、自分を追い込み過ぎてました。

妻:私自身、演劇に身を投じた動機は「死の恐怖から逃れるため」でしたから。

夫:それもすごいよね。

妻:2歳のころ自我が芽生えてきて、自分と他人は違う存在なんだって気が付いた。あのときの孤独感! 人はいずれ死んでしまうんだとわかって、母親に「どうせ死ぬのに、なぜ産んだの?」なんて言って。田舎の夜の暗闇が怖くて怖くて。死の恐怖に震えてました。

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