様々な関係者の話を聞いた私の結論だと、田中は天皇への尊崇の念を他の首相よりは持っていない。持たないことが彼の強みでもあった。

 天皇は自分の前に上奏に来る人物は、官僚出身者、あるいは練達な政治家ばかりだったから、どういう態度をとるかを知っている。だから、田中角栄を初めて見たときには愕然としたに違いない。「この男は、私を陥れるのではないか。私に敵対しているのではないか」と。

 昭和中期には社会党の片山哲が首相になっている。社会主義、共産主義というのは、天皇制にとって最大の敵。天皇は「大丈夫だろうか」と不安に思ったはずだ。でも、片山はクリスチャンで社会民主主義者であり、共産主義とは一線を画していた。話をしているうちに、天皇は片山を大好きになったらしい。片山の首相退陣後も、事あるごとに片山が宮中へ来られるような行事を考えるよう、侍従たちに言っている。

 田中角栄は無論、共産主義者ではない。しかし、天皇を前にした田中の態度は、他の首相とは違った。田中ほど、天皇に明確な立場をとった人はいない。俗っぽい言葉で言うと、天皇に対し、「あなたも人間だろう。いや、立場上、大変なのはわかる。でも、私も大変なんです」と。そういう態度だったと思える。

週刊朝日  2016年10月21日号より抜粋