ジャーナリストの田原総一朗氏が、陛下の「生前退位」の意向について解説する。

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 8月8日、午後3時から約10分、天皇がテレビで「お気持ち」を表明された。

 私は1945年8月15日、昭和天皇の「玉音放送」を聴いた。国民学校の5年生だったが、「敵は残虐なる爆弾を使用し」や、「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」など、現在でも切れ切れにではあるが覚えている。私には、今回の「お気持ち」の表明は、71年前の「玉音放送」に匹敵する重さが感じられた。

 71年前、軍の幹部たちは「本土決戦で最後の一人となるまで戦うのだ」と息巻いていた。私たち国民もいや応なく、その覚悟をしていた。

 昭和天皇はそんな国民に、米英という敵に降伏する、それこそ堪え難きを堪え、忍び難きを忍んでほしいと、必死に訴えられたのである。後にわかったことだが、軍の一部が宮中を占拠し、天皇は生命の危険さえ感じながら、それこそ必死に訴えられたのであった。

 天皇に「生前退位」の意向があることを7月13日にNHKが報じ、それこそ大騒ぎとなった。保守系の政治家や学者、評論家たちはいずれも、天皇は「終身」であるべきだと、強い反対の姿勢を示した。「生前退位」により過去に政治が混乱に陥ったり、流血の事態を引き起こしたりしたこともあり、明治時代に「終身制」になったというのだ。皇室典範第4条も「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」となっており、公務に耐えられないほど体調が悪くなれば摂政を置けばよい、と定められている。おそらく政府関係者の多くも、こうした考え方をしているはずである。

 天皇は、そういう事情は百も承知であえて「お気持ち」を表明されたのだ。昭和天皇に劣らない、まさに必死の、国民への訴えだった。

 右派の政治家や学者たちは「生前退位」を表明すること自体が「国政への介入」であって、憲法第4条違反だと主張している。これに対し天皇は「お気持ち」の表明にあたり、「個人として」の考え方を話すと断っている。そして、わざわざ摂政を置くというケースを示して、それをやわらかく否定したのである。

 
 天皇はこれまでも、国政にかかわらないとしながらも沖縄やサイパン、パラオなどを訪ねて犠牲者を慰霊し、あのような戦争を二度と行ってはならないと行動で示してきた。また、平和憲法を守るという強い姿勢をことあるごとに示してきた。

 おそらく、父親の昭和天皇が皇太子に、昭和の戦争と天皇の立場について詳しく話をされ、天皇の戦争責任についても率直に話をされたのではないか。天皇はこれを重く受け止め、犠牲者を多く出した激戦地を無理に無理を重ねて回っている。そして憲法第4条の違反にならないぎりぎりの範囲で、平和憲法を守るという趣旨の言動を続けている。これは右派の政治家や学者たちにとってはいささかならず違和感があるはずで、そのための緊張感が「お気持ち」の表明にはにじみ出ていた。

 なお、「生前退位」が可能になると、権力者にとって気に入らない天皇が強引に退位させられる危険性があると右派の学者たちは指摘するが、「高齢、体調の悪化などで、天皇自らが求めた場合」などと、皇室典範に書き入れればよいのではないか。

 そして、私は皇室典範を改正する場合、「女性天皇を認める」「女性宮家を認める」の2項目を追加すべきだと考えている。

週刊朝日 2016年8月26日号

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田原総一朗

田原総一朗

田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年、滋賀県生まれ。60年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。早稲田大学特命教授を歴任する(2017年3月まで)。 現在、「大隈塾」塾頭を務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数

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